人は、誰かの役に立ちたい生き物
人はどこかで、
「誰かの役に立ちたい。」
「この人のおかげで助かった。」
そんなふうに思われたい気持ちを持っていると思います。
もちろん、それ自体は悪いことではありません。
誰かのために動くことも、助けることも、とても素敵なことです。
ただ、人は大人になるにつれて、少しずつ見返りを求めるようになることもあるのではないかと思っています。
評価される喜び
例えば、友人Aと友人Bがいたとします。
私が友人Aの悩みを聞き、結果的に問題が解決したとします。
その後、友人Aが友人Bに
「〇〇のおかげで助かった。」
と話したとします。
すると友人Bから、
「優しいね。」
「あなたのおかげだね。」
と評価される。
最初は純粋な優しさだったとしても、
「誰かに何かを与えると、違う形で自分にも返ってくる。」
そんな成功体験を積み重ねることで、
人は無意識に評価や信頼を期待するようになるのではないでしょうか。
ヒーローになりたい人
私の知り合いに、
「人に興味がない。」
と言う人がいます。
確かにその人は、人に優しくしていても、
「もう必要ない。」
と判断すると、あっさり関係を切ります。
人との思い出にも執着がありません。
でも、不思議なことに、精神的に少し弱っている人に対してだけは、急にヒーロー心を発揮します(笑)
そういう人は、依存しやすい人を自然と見つけるのが上手です。
そして、依存しやすい人はヒーロー体質の人が欲しい言葉をくれます。
「〇〇のおかげで今日は眠れた。」
「話を聞いてくれたから頑張れた。」
そんな言葉をもらうことで、
「自分は必要とされている。」
そう感じられるのかもしれません。
もしかすると、その背景には承認欲求もあるのだと思います。
私は、背景を知りたくなる
私はよく、しゃばと人間心理について話をします。
その人がなぜそんな行動を取るのか。
何を経験してきたのか。
背景が知りたくなるのです。
でも、それは私の良くないところでもあります。
背景を知ると、
「仕方なかったのかな。」
と許す材料にしてしまう。
そして、
「この人を救えないかな。」
と、いろいろな方法で関わろうとしてしまいます。
そう考えると、私自身もヒーロー体質なのかもしれません。
私が施設で学んだ人間関係
私が中学生の頃、施設で生活していた時期があります。
思春期の女の子が集まる女子寮。
そこには、本当にいろいろなタイプの子がいました。
一人になるのが怖くて、人の悪口を吹き込み人間関係を壊すクラッシャータイプ。
一匹狼で過ごす子。
好き嫌いがはっきりしていて、嫌いな人の悪いところばかり目についてしまう子。
みんなに嫌われたくなくて、いい子を演じる子。
人を信用できない子。
今思うと、私の人間関係の基礎は、あの場所で学んだように思います。
私の安心は、一度壊れた
施設生活で一番大きかった出来事があります。
もともと仲の良かった子のところへ、新しく入ってきた子がいました。
その子は、一人になるのが嫌だったのでしょう。
私が言ってもいない悪口を、
「あの子が言ってた。」
と伝え始めました。
そこから空気が変わりました。
二人でヒソヒソ話すようになり、
悪口を言ったクラッシャーは私に冷たくなり、
私はその空気の中で話しかけることができなくなりました。
すると、仲の良かった子は、
「やっぱり悪口を言っていたんだ。」
と納得してしまい、関係はどんどん悪くなっていきました。
完全に悪循環です(笑)
でも最終的には誤解が解けて、元の関係に戻ることができました。
すると今度は、そのクラッシャーが部屋に引きこもり、私にもびくびくしながら接してくるようになりました。
これが因果応報なんだろうなと思いました。
私が選んだ行動
でも私は、
「やり返そう。」
とは思いませんでした。
それよりも、
「もう誰も人間関係で悩まなくていい寮にしたい。」
そう思いました。
その頃は、
本当は部屋で漫画を読んでゆっくりしたいのに、
誰かが散歩へ行くと言えば着いて行く。
一人でいると陰口を言われる気がして、
自分で選択できない毎日でした。
だから私は、相談を受けても陰口大会にはしませんでした。
まず話を聞く。
そして根本的な原因を考える。
必要なら本人にもきちんと伝える。
「こういう思いをしていたみたい。」
「一度みんなで話そう。」
そうやって、一つひとつ解決するように動いていました。
対人関係は本当に難しいです。
でも、私が施設を退園する頃には、
先生から
「過去一、生活しやすい女子寮になった。」
「今は誰も変な気を使っていない。」
そう言ってもらえました。
あの言葉は今でも覚えています。
あの経験が今につながっている
今、夜職で働いていても、
面倒な人間関係のトラブルに当事者として巻き込まれることはほとんどありません。
もちろん偶然もあると思います。
でも、施設で学んだ経験が大きかったように感じています。
相手の気持ちを考えること。
話し合うこと。
誤解を放置しないこと。
その積み重ねが、今の自分につながっています。
私もヒーローを求めていた
ただ、話を戻すと、
あの経験があったからこそ、
私は「評価されること」に価値を感じるようになったのかもしれません。
人に優しくすること。
誰かの役に立つこと。
それ自体は悪いことではありません。
でも、いつしか私は、
「誰かの役に立っていない自分には価値がない。」
「必要とされていない自分には意味がない。」
そんなふうに思うようになっていました。
本当の優しさではなく、
誰かに必要とされることで、自分の価値を確認していたのだと思います。
今は少しずつ、その考え方も変わってきました。
誰かの役に立てることは幸せです。
でも、それが自分の価値を決めるものではありません。
誰かを救うことばかり考えるより、
まずは自分自身を大切にすること。
それができて初めて、本当の意味で人に優しくできるのかもしれない。
最近は、そんなふうに思うようになりました。