人と関わっていると、
「この人とは考え方が合わないな」
と思うことがある。
仕事でも、恋愛でも、夫婦でも、友人でも。
同じ出来事を見ても、感じ方が違う。
お金の使い方が違う。
時間の使い方が違う。
仕事に対する考え方が違う。
人との距離感が違う。
何を大切にするかも違う。
でも、最近思う。
意見や価値観が合わないことって、そんなに悪いことなんだろうか。
「違う」と「間違っている」は別の話
私は昔、
「自分がこう思うなら、相手もこう思うはず」
と考えていたところがあった。
だから、考え方が違う人を見ると、
「なんでそうなるの?」
と思ってしまう。
でも、よく考えたら当然なんだと思う。
育ってきた環境も違う。
経験してきたことも違う。
大切にしてきたものも違う。
同じ出来事を経験しても、同じ考え方になるとは限らない。
だから、
「私はこう思う」
と
「あなたは間違っている」
は、全然違う。
自分の価値観を持つことは大切だけど、
自分の価値観を基準にして、相手の価値観まで間違いにしてしまう必要はない。
価値観は「正解」ではなく、その人の基準
例えば、お金。
私は、
「将来のために貯金したい」
と思う。
でも、別の人は、
「今しかできない経験にお金を使いたい」
と思うかもしれない。
どちらが正解なんだろう。
たぶん、正解なんてない。
もちろん、生活が成り立たないほど使うのは別の問題だけど、
「貯金することが大事」
という人と、
「経験に使うことが大事」
という人では、そもそも大切にしているものが違う。
そこに、
「普通はこうするでしょ」
を持ち込んでも、なかなか話は噛み合わない。
価値観って、
その人がこれまで生きてきた中で作られてきた「自分なりの基準」なんだと思う。
「分かる」と「同意する」も違う
前の記事でも書いたけれど、
相手を理解することと、相手に同意することは違う。
「あなたはそう考えるんだね」
と言うことは、
「私も同じ考えです」
という意味ではない。
むしろ、
「私は違うけど、あなたがそう考える理由は分かった」
という状態でもいい。
私は、これができるだけで、人間関係はかなり楽になると思う。
相手と同じになる必要はない。
相手の考え方を理解したうえで、
「私はこう思う」
と言えばいい。
価値観を合わせることと、価値観を尊重すること
恋人や夫婦になると、
「価値観が合う人がいい」
という話をよく聞く。
もちろん、ある程度似ているほうが楽なこともある。
お金の使い方。
子どもについて。
仕事について。
生活リズム。
人付き合い。
将来どう暮らしたいか。
こういう部分が大きく違うと、生活そのものに影響することもある。
でも、
「価値観を合わせる」
ことが必ずしも正解ではないと思う。
無理に相手に合わせ続けると、
「私は本当はこうしたくない」
という気持ちが溜まってしまう。
だから私は、
「価値観を合わせる」より、
「価値観が違うことを理解したうえで、どう一緒にいるかを考える」
ほうが大事なんじゃないかと思う。
譲れることと、譲れないことはある
もちろん、
「価値観が違っても全部受け入れよう」
という話でもない。
人にはそれぞれ、
「これは別に違っていてもいい」
ということと、
「ここだけは無理」
ということがある。
例えば、
好きな食べ物が違う。
休日の過ごし方が違う。
趣味が違う。
これは、そこまで問題にならないかもしれない。
でも、
お金に対する考え方。
約束を守ること。
暴力や威圧。
嘘をつくこと。
人を傷つけること。
そういう部分まで、
「価値観が違うだけ」
で片付けてしまうのは違うと思う。
「違いを尊重すること」と、
「何でも我慢すること」は別だから。
「違うからこそ、話し合う」ができるか
価値観が合わないときに大切なのは、
「どっちが正しいか」
を決めることではない。
「どうしたら、お互いが無理なく一緒にいられるか」
を考えること。
例えば、
片方は家でゆっくりしたい。
もう片方は外に出かけたい。
だったら、
毎回どちらかが我慢するのではなく、
「今日は家で過ごして、来週は出かけよう」
でもいい。
お金の使い方が違うなら、
「生活費はこうする。でも、それぞれ自由に使えるお金は別にする」
という方法もある。
価値観が違うことそのものより、
違いが出てきたときに、
「じゃあどうする?」
と考えられるか。
私は、そっちのほうが大事だと思う。
「普通はこうする」が一番危ない
価値観の違いで揉めるとき、
「普通はこうするよね」
という言葉が出てくることがある。
でも、その「普通」って誰の普通なんだろう。
自分の家庭では普通だった。
友達はみんなそうしている。
今まで付き合ってきた人はそうだった。
だから、相手もそうするべき。
でも、それは単に、
「自分が慣れている価値観」
なのかもしれない。
もちろん、社会生活の中には最低限のルールや常識もある。
でも、それと個人の価値観は別。
「私にとって普通」と、
「世の中の正解」は同じではない。
価値観が違う人といると、自分のことも分かる
私は、価値観が違う人と関わることで、
「自分って、ここを大切にしていたんだ」
と気づくこともある。
自分では当たり前すぎて、気づいていなかったこと。
相手の立場になって考えることで、初めて見えてくるものがある。
相手の立場になって考えるということ
相手との違いがあったからこそ、
「私はこれを大事にしたいんだ」
と分かることもある。
だから、価値観の違いって、
必ずしも悪いものではない。
むしろ、自分自身を知るきっかけになることもある。
問題なのは「違い」ではなく、「違いをどう扱うか」
私は最近、
「価値観が合う人と付き合いたい」
という言葉を聞くと、
本当に大事なのはそこなのかなと思う。
価値観が全部合う人なんて、たぶんいない。
大事なのは、
違ったときに話せるか。
相手の考えを聞けるか。
自分の考えも伝えられるか。
お互いに譲れるところを探せるか。
どうしても譲れない部分は、無理に合わせず距離を取れるか。
そして、
「あなたはそう思うんだね」
と、相手の存在まで否定せずにいられるか。
結局、問題になるのは「違い」そのものではなく、
「自分と違うものを受け入れられるか」
なんだと思う。
それでも、どうしても合わない人はいる
ここまで書いておいて、
「価値観が違っても、みんな仲良くすればいい」
とは思わない。
どうしても合わない人はいる。
話し合っても分かり合えないこともある。
譲れない部分がぶつかることもある。
そのときは、
「どちらが悪い」
ではなく、
「この二人は、一緒にいることが難しい」
ということもある。
それも一つの答えだと思う。
相手を変えようとするより、
「私とは大切にしているものが違うんだ」
と認めて、距離を取ったほうがお互いに楽なこともある。
私は「同じ人」より「違っても話せる人」がいい
昔は、
「自分と考え方が合う人」
を求めていた気がする。
でも今は、
「違っても話せる人」
のほうが大事だと思っている。
私と違う意見を持っていてもいい。
私が理解できない価値観を持っていてもいい。
ただ、
「私はこう思う」
と話してくれて、
「あなたはどう思う?」
と聞いてくれる人。
その違いを、
「だからあなたは間違っている」
にしない人。
私も同じように、
相手の価値観を否定せずに、自分の価値観を持っていたい。
人は、それぞれ違う人生を生きてきた。
だったら、考え方が違うのは当たり前。
大切なのは、
「同じになること」ではなく、
「違うままでも、どう一緒にいられるか」
なんじゃないかなと思う。
そして、どうしても一緒にいられないほど違うのなら、
無理に合わせなくてもいい。
相手を否定する必要もない。
自分を否定する必要もない。
「私たちは大切にしているものが違った」
それだけでいいのかもしれない。
価値観が合わないことは、悪いことじゃない。
違いを知ったときに、
相手を否定するのか。
自分を曲げるのか。
それとも、
「じゃあ、どうしようか」
と話すのか。
その選択のほうが、
人間関係ではずっと大事なんだと思う。
新着記事をいち早くチェックしませんか?
新着記事のお知らせはもちろん、おすすめ記事の紹介や、著者・カテゴリー別の検索もLINEで。ここだけのちょっとした話も、こっそりお届けします。
LINEで更新通知を受け取る