人と話をしていると、
「この人は論理的に考える人だな」
と思うことがある。
逆に、
「この人は感情で考えるタイプなんだな」
と思うこともある。
私は昔、どちらかというと感情で考えることが多かった。
自分がどう感じたのか。
相手がどう思っているのか。
その場の空気はどうなのか。
そういうことをかなり気にしていたと思う。
でも、仕事や人間関係でいろんな経験をしていく中で、少しずつ論理的に考えるようにもなった。
そして最近思う。
論理的に考えることも、感情で考えることも、
どちらかが正しくて、どちらかが間違っているわけじゃないんじゃないか。
論理的に考える人は、「問題を整理する」のが得意
論理的に考える人は、
「何が起きたのか」
「原因は何なのか」
「どうすれば解決できるのか」
を整理するのが得意だと思う。
例えば仕事でミスが起きたとする。
「誰が悪い?」
ではなく、
「なぜミスが起きた?」
「どこで確認すれば防げた?」
「次からどういう仕組みにすればいい?」
と考える。
これはすごく大事な力だと思う。
感情だけで話していると、問題の原因が見えなくなることがある。
相手の立場で物事を考えることについて、別の記事でも書いています。
相手の立場になって考えるということ
だから、
事実を整理する。
原因を考える。
対策を考える。
再発しない方法を作る。
こういう場面では、論理的な考え方がかなり役に立つ。
でも、論理だけでは人の気持ちは動かない
一方で、
「正しいことを言っているのに、なぜか相手に伝わらない」
ということもある。
例えば、
「それはあなたにも原因があるよ」
「こうすれば解決するじゃん」
「その考え方は効率が悪いよ」
言っていること自体は間違っていないかもしれない。
でも、相手が今求めているのが、
「解決策」ではなく、
「分かってほしい」
だったらどうだろう。
正しい答えを出されても、
「いや、そうじゃない」
となることがある。
人間って、正しさだけで動いているわけじゃないから。
感情で考える人は、「人の気持ち」を見るのが得意
感情を大切にする人には、論理的な人とは違う強みがある。
「この人は今、何を感じているんだろう」
「この言葉を言われたら、どう思うだろう」
「今は正論を言うより、話を聞いたほうがいいんじゃないか」
そういうことを考えられる。
誰かが落ち込んでいるとき、
「こうすれば解決するよ」
ではなく、
「それはしんどかったね」
と言える。
これって、一見すると何も問題を解決していないように見える。
でも、人によっては、
その一言があることで、もう一度頑張れることもある。
感情を理解する力は、人間関係ではすごく大きな力だと思う。
ただ、感情だけになると「自分の気持ち」が正解になってしまう
感情を大切にすることにも、難しいところがある。
「私は嫌だった」
「私は傷ついた」
「私はこう感じた」
という気持ちは、その人にとって本物。
でも、
「私はそう感じた」
ことと、
「だから相手が悪い」
ことは別の話。
例えば、相手に悪意がなくても、自分が傷つくことはある。
逆に、自分が怒っているからといって、相手が必ず悪いとも限らない。
感情は大切だけど、
「感じたこと=事実」
ではない。
ここを混同すると、感情だけで判断してしまう。
論理と感情は、見ている場所が違う
私は、
論理は「何が起きているのか」を見るもの。
感情は「それを自分がどう感じているのか」を見るもの。
そんな違いがあると思っている。
例えば、
「友達から連絡が来なかった」
これは事実。
「寂しかった」
これは感情。
「嫌われたのかもしれない」
これは、その事実から自分が考えたこと。
ここを全部一つにしてしまうと、
「連絡が来なかった=嫌われた」
になってしまう。
でも、論理的に考えれば、
「連絡が来なかったという事実はある。でも、理由は分からない」
となる。
感情的に考えれば、
「私は寂しかったんだな」
と自分の気持ちに気づける。
どちらも必要なんだと思う。
仕事では、論理が強い
仕事では、特に論理的な考え方が役に立つ。
納期がある。
予算がある。
人員がいる。
やらなければいけないことがある。
だから、
「誰が何をするのか」
「いつまでにやるのか」
「どうすれば効率よく進むのか」
を考える必要がある。
「なんとなく大変だから」
だけでは仕事は進まない。
数字や事実を見て、判断することも必要。
でも、仕事も結局は人がやっている。
だから、
「この人は今かなり負担がかかっているな」
「この言い方では伝わらないかもしれないな」
と考える感情的な部分も必要になる。
効率だけを追求すると、人が疲れてしまうこともある。
恋愛や家族では、感情が大きくなる
恋愛や家族になると、
「正しい答え」
だけでは解決できないことが増える。
「じゃあ別れればいい」
「こうすればいい」
「それが合理的でしょ」
と言われても、
人間はそんなに簡単に割り切れない。
好きだから悩む。
大切だから傷つく。
嫌いになったわけじゃないから離れられない。
そういう感情があるからこそ、人間関係は難しい。
だから、家族や恋愛では、
「どうするのが正しいか」
だけではなく、
「自分はどう感じているのか」
「相手はどう感じているのか」
も大切になる。
感情を無視すると、自分の本音が分からなくなる
論理的に考えることを覚えると、
「これは効率が悪い」
「これは合理的じゃない」
「こうすればいい」
と、どんどん答えを出せるようになる。
でも、そこで感情を置いていくと、
「正しいはずなのに、なんか苦しい」
ということが起きる。
私はこれ、結構大事なことだと思っている。
感情って、
「自分が何を大切にしているのか」
を教えてくれるものでもあるから。
怒りの中に、
「本当は分かってほしかった」
があるかもしれない。
寂しさの中に、
「大切にしてほしかった」
があるかもしれない。
違和感の中に、
「私はこれを受け入れたくない」
という本音があるかもしれない。
だから、感情は邪魔なものではない。
自分を知るための情報でもある。
論理は「進む方向」を決めるのに役立つ
感情だけで決めると、
その瞬間はスッキリするけど、あとから後悔することもある。
だから私は、
「今どう感じているか」
と、
「この先どうなるか」
を両方考えることが大切だと思う。
今は腹が立っている。
でも、この怒りのまま決断していいのか。
今は寂しい。
でも、寂しいからという理由だけで戻っていいのか。
今は楽しい。
でも、長期的に考えてこれは自分にとって良いのか。
感情を否定するのではなく、
感情を持ったまま、論理的に考える。
これができると、かなり違うと思う。
私自身、最近は「論理」に寄りすぎていた
私は最近、
「効率」
「正しさ」
「問題解決」
をかなり考えるようになった。
昔よりも、
「じゃあどうする?」
を早く考えるようになったと思う。
それ自体は、仕事をするうえでも生活するうえでも、悪いことではない。
でも、人に対してまでそれをやりすぎると、
「冷たくなった」
と言われることがある。
たぶん、それも分かる。
相手が欲しいのが答えじゃないときに、
私は答えを出そうとしてしまう。
相手がただ聞いてほしいときに、
「こうすればいい」
と言ってしまう。
正しいことを言っていても、
それだけでは人との関係はうまくいかない。
前に、
「正論だけでは、人は救えない」
という記事を書いたけれど、
今回の話にも繋がっていると思う。
どちらかを捨てる必要はない
論理的な人が、もっと感情を持つべき。
感情的な人が、もっと論理的になるべき。
そんな単純な話ではないと思う。
論理には、問題を整理して前に進む力がある。
感情には、人の気持ちや自分の本音に気づく力がある。
論理だけなら、人を置いていってしまうことがある。
感情だけなら、目の前の気持ちに引っ張られてしまうことがある。
だから、
「どちらが正しいか」
ではなく、
「今はどちらが必要なのか」
を考えるほうがいい。
「正しい」と「優しい」は、別のもの
正しいことを言うことと、
優しいことを言うことは、同じではない。
でも、どちらか一方しか必要ないわけでもない。
例えば、
子どもが飲み物をこぼしたとき。
「なんでこぼしたの?」
「ちゃんと持って」
と言うのも、間違いではない。
でも、まず一緒に片付けて、
「大丈夫?怪我してない?」
と声をかけることもできる。
そのあとで、
「次はどうしたらこぼさずに持てるかな?」
と考えればいい。
感情を受け止めてから、論理的に考える。
論理的に考えながら、感情も置き去りにしない。
たぶん、こういう順番も大切なんだと思う。
本当に強いのは、「両方を使えること」なのかもしれない
私は、
論理的な人と感情的な人のどちらが優れているのか、
という話ではないと思っている。
必要なのは、
「今、自分は感情で考えているな」
と気づくこと。
そして、
「一度、事実を整理してみよう」
と考えられること。
逆に、
「今、私は正しさばかり見ているな」
と気づいたら、
「相手はどう感じているんだろう」
と考えてみること。
自分の感情を大切にしながら、事実も見る。
相手の気持ちを考えながら、現実的な解決策も考える。
それができれば、論理と感情は敵ではなくなる。
人間だから、どちらも持っていていい
人間は機械じゃない。
全部を合理的に決められるわけでもないし、
全部を感情だけで決めていいわけでもない。
仕事では論理が必要。
でも、人間関係では感情も必要。
大事な決断では、感情を無視してはいけない。
でも、感情だけで決めると後悔することもある。
だから私は、
「論理的であること」
と
「感情的であること」
を対立させなくていいと思う。
論理は、現実を見るためのもの。
感情は、自分や相手の心を見るためのもの。
どちらも人間が生きていくために必要なものだから。
正しい答えを探すだけじゃなく、
「自分はどう感じているのか」
も見る。
そして、
「じゃあ、現実的にはどうするのか」
を考える。
私はこれから、
感情を捨てて論理的になるのではなく、
感情を持ったまま、冷静に考えられる人でいたい。
たぶんそれが、
「人間らしさ」と「生きていく力」の両方を持つということなんじゃないかなと思う。
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