最近、SNSを見ていると、

子どもの写真を載せている投稿や、
ご飯を作った写真を載せている投稿に、

わざわざネガティブなコメントをしている人を、度々見かける。

もちろん、虐待やネグレクトなど、
明らかに子どもの安全や生活に関わることであれば、話は別だと思う。

でも、そうではなく、

「その子育てはどうなの?」

「そんなもの食べさせてるの?」

「子どもがかわいそう」

みたいな、外から見ただけでは分からないことに対して、
他人の子育てを評価したり、否定したりする。

それを見ていると、

他人の子育てを評価できるほど、立派な人ってそんなにいるんだろうか?

と思ってしまう。

子育てに「正解」はあるのか

親になったからといって、全員が同じ考え方になるわけじゃない。

家庭によって生活環境も違う。

経済状況も違う。

親の性格も違う。

子どもの性格も違う。

兄弟の人数だって違う。

同じ家庭の中ですら、子どもによって必要な関わり方は違う。

だから、

「自分の家庭ではこうしている」

というものが、そのまま他人の家庭にも当てはまるとは限らない。

もちろん、子どものために考えることは大切。

でも、

「自分が正しいと思う子育て」と
「すべての家庭にとって正しい子育て」は、同じではないと思う。

批判と心配は、似ているようで全然違う

ここで、私は「他人のことに口を出すな」と言いたいわけではない。

子どものことだからこそ、

「それは大丈夫なのかな?」

と心配になることもあると思う。

虐待やネグレクトなど、子どもの安全が明らかに脅かされているのであれば、見て見ぬふりをすることが正しいとも思わない。

だからこそ、

「批判」と「心配」は分けて考えたほうがいい。

例えば、

「この親はありえない」
「そんな育て方するなんて最低」
「子どもがかわいそう」

これは、親自身を評価している言葉。

一方で、

「この子、大丈夫かな」
「何か困っていることがあるのかな」
「もし助けが必要なら、誰か気づいてあげてほしい」

これは、子どもの状況を心配している言葉。

同じように見えても、向いている方向が違う。

本当に子どものことを心配しているなら、
親を叩くことが目的にはならないんじゃないかなと思う。

危険な状況であれば、必要な場所に相談したり、助けを求めたりすることは大切。

でも、

「自分ならこうする」

という価値観と、

「この子の安全が脅かされている」

という問題は、同じではない。

「自分の価値観と違う」ことを、「子どもがかわいそう」に置き換えないこと。
相手の立場になって考えるとはどういうことか、以前書いた記事も合わせてどうぞ。 相手の立場になって考えるということ

これは、結構大事なんじゃないかなと思う。

SNSで見えているのは、その家庭のほんの一部分

SNSを開けば、知らない人の食事も、子どもも、家も、旅行も、夫婦関係も、日常生活も流れてくる。

昔なら、自分の知らない家庭の生活なんて、そんなに見る機会はなかった。

今は簡単に他人の生活が見えるからこそ、分かったような気持ちにもなりやすい。

でも、

見えることと、分かることは違う。

料理の写真一枚を見て、

「毎日こんなものを食べさせている」

とは限らない。

子どもの写真一枚を見て、

「この親はこういう人だ」

とも限らない。

投稿されているのは、その人の生活のほんの一部分だから。

だから私は、

「自分にはこう見えた」

と

「この人はこういう人だ」

を、混同しないようにしたいと思っている。

私は、他人の生活にそこまで興味がない

私は極論、

他人の行動や言動に、そこまで興味がない。

SNSで知らない人の投稿が流れてきても、

「美味しそうだな」

「料理上手だな」

「この子、可愛いな」

くらいで終わる。

社会的に常識の範囲内にある投稿や、
誰かの日常を見て、
わざわざネガティブな発想にはならない。

「この人はこういう生活をしているんだな」

それくらい。

そもそも、自分には関係のないことだから。

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もちろん、自分に害があることや、
誰かの命や安全に関わることなら話は別。

でも、そうではない他人の日常まで、
いちいち評価する必要があるのかなと思う。

逆の立場から考えてみてほしい

もし、自分の親がSNSを使って、

「この親はダメ」
「こんな育て方はありえない」
「この子がかわいそう」

と、他人の親を否定している姿を、
自分の子どもが見ていたらどうだろう。

どこの子どもが、それを見て喜ぶんだろう。

自分の親が他人を否定している姿を見て、

「お母さん、かっこいい」

と思う子どもは、どれくらいいるんだろう。

むしろ、

「なんでそんなこと言うんだろう」

と思う子どももいるんじゃないかなと思う。

顔が見えないSNSだから、
直接相手の反応を見ることもない。

だからこそ、言葉が軽くなってしまうこともあると思う。

でも、

自分が書いた言葉を、自分の子どもが見たらどう思うのか。

そこまで考えてから、言葉を選んでもいいんじゃないかなと思う。

人を否定する前に、自分を見ていたい

子育てに限らず、
人はどうしても自分の基準で他人を見てしまう。

「私はこうする」
「私はこう思う」

それ自体は悪いことではない。

でも、それをそのまま、

「だからあなたもそうするべき」

に変えてしまうと、
人を否定することにつながる。

私は、自分の価値観を持つことと、
他人に自分の価値観を押しつけることは、
別のことだと思っている。

誰かの投稿を見て、

「美味しそう」
「楽しそう」
「子ども可愛いな」

と思えるなら、それで十分だと思う。

わざわざ誰かを否定しなくても、
自分の人生には何も困らない。

そして何より、

他人を否定している自分の姿を、子どもに見せたいのか。

私は、そこを一度考えてみてもいいんじゃないかなと思う。

他人の子育てを評価することより、

自分の子どもにとって、
どんな親でありたいか。

私は、そっちを考えていたい。

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グル子

このサイトのメインライター。失敗談から日常のことまで、思いついたことを気ままに書いています。ゆるく更新しているので、気軽にのぞいてもらえたらうれしいです。

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