先日、親戚と会う機会があり、いろいろな話をしていた。

その中で、ある親戚の話になった。

その人は現在20代前半で、専門学校に通いながら自営業をしている。

こう聞くと、なんとなく「若いうちから自分で仕事をしていて、しっかりしている人」という印象を持つかもしれない。

ただ、実際のところは少し違う。

高校卒業後、そこそこいい会社に就職したものの長くは続かず、その後専門学校へ入学。

しかし、そこでもきちんと学校へ行かないことがあり、留年している。

学費や生活費は親が負担していて、先日も自営業のほうでトラブルがあり、かなりの金額を親が立て替えているらしい。

決して特別裕福な家庭というわけでもないので、親にとってもかなり大きな負担になっていると思う。

まあ、そこまでの話は今回の本題ではない。

私が気になったのは、その後の何気ない会話だった。

「自営業なら国保って結構かかるよね」

話の流れで、私はその親戚に、

「自営業だと国民健康保険だから、保険料結構かかるよね。ちゃんと蓄えておいたほうがいいよ」

という話をした。

すると彼は、

「俺、保険入ってないからかからないよ」

と言った。

その場にいた全員が、一瞬止まった。

「……え?」

聞き返すと、本当に国民健康保険に加入していないと思っていたらしい。

保険証も持っていない。

保険料も払っていない。

督促も届いていない。

だから、自分は健康保険に加入していないのだと思っていた。

病院に行けば全額自己負担になると思っていたので、そのことも特に誰にも言っていなかったという。

私はその話を聞いた瞬間、あまりにも予想外すぎて大爆笑してしまった。

もちろん、その場にいた親戚の親は笑っている場合ではない。

「ちゃんと調べなさい」

と、かなり怒っていた。

それはそうだと思う。

ただ、私はその話を聞いていて、少し違うことも考えていた。

彼は「何も考えていなかった」わけではない

ここは少し大事なところだと思う。

この話だけ聞くと、

「その親戚は何も考えていない」

「自分のことなのに調べもしない」

と思うかもしれない。

でも、実際には少し違う。

彼は彼なりに、いくつかの情報を拾っていた。

会社に勤めていない。

だから会社の健康保険には入っていない。

国民健康保険にも入っていない。

実際に保険料も払っていない。

保険証も持っていない。

そして、督促も来ていない。

そこから、

「じゃあ、自分は保険に入らなくてもいいんだ」

という結論にたどり着いたらしい。

つまり、彼の中では「何もしない」という選択肢を、自分なりに考えて選んでいたのだ。

もちろん、その結論は正しいとは限らない。

というより、そこで一度立ち止まって確認する必要があった。

でも、「何も考えていない人」と一言で片付けるのも少し違う気がした。

足りなかったのは「考えること」より「確かめること」

彼に足りなかったのは、考える力そのものではないのかもしれない。

むしろ、

「自分で考えたことが、本当に正しいのかを確かめること」

だったのだと思う。

「督促が来ないから、払わなくていいのではないか」

という考え方自体はできる。

でも、そこから先に、

「本当にそうなのか?」

「国民健康保険に加入しなくてもいい人って、どういう人なんだろう?」

「自営業の場合はどうなるんだろう?」

と調べれば、自分の考えが正しいのかどうかを確認できる。

考えることと、事実を確認することは、似ているようで少し違う。

自分の頭の中で筋が通っているからといって、それが社会のルールとして正しいとは限らない。

今回のことは、まさにそれだったのだと思う。

「知らない」だけではなく、「知らないことを知らない」

そして、ここが今回私が一番考えたところだった。

人は、知らないことそのものよりも、

「自分が知らないということに気づけないこと」

のほうが怖いのではないかと思う。

彼は、

「健康保険には加入するものなのに、自分は加入していない」

という前提を知らなかった。

だから、

「自分だけ加入していないのはおかしくないか?」

という疑問自体が出てこなかった。

むしろ、自分の身の回りで起きていることを材料にして、自分なりの答えを出していた。

だから本人の中では、それほどおかしな話ではなかったのだと思う。

これは健康保険に限った話ではない。

社会には、知らなければ「そういうものなのだ」と思ってしまうことがたくさんある。

社会の仕組みは、意外と誰も教えてくれない

考えてみれば、健康保険だけではない。

税金。

年金。

確定申告。

雇用保険。

住民税。

賃貸契約。

クレジットカード。

ローン。

社会に出れば、当たり前のように関わることが次々と出てくる。

ところが、こうしたことを体系的に教えてもらう機会は、意外と少ない。

もちろん学校で一部を学ぶことはある。

でも、実際に自分が会社を辞めたり、自営業を始めたり、引っ越したりしたときに、

「では、次に何をしなければならないのか」

まで教えてくれる人が必ずいるわけではない。

結局、自分で調べることになる。
グル子は「『収入が増えたら貯金する』は、たぶん一生貯まらない」で、お金にまつわる「分かっているのにできない」構造を書いています。 「収入が増えたら貯金する」は、たぶん一生貯まらない

そして、その「調べる」という行動を起こすには、まず「自分はこれを知らないかもしれない」と気づかなければならない。

ここが意外と難しい。

知らないことは、知らない。

だから、そもそも調べようとも思わない。

「世間知らず」と呼ばれる人たち

昔なら、こういう人を「世間知らず」と呼んだのかもしれない。

今なら「情報弱者」という言葉で表現されることもある。

でも、私は「知らないこと」自体を、そこまで悪いことだとは思わない。

人間は、生まれた瞬間から何でも知っているわけではない。

誰だって最初は何も知らない。

そして、そこから少しずつ周りの人に教えてもらったり、自分で調べたり、失敗したりしながら知識を増やしていく。

そう考えると、「知らない」という状態だけを切り取って、

「本人が何も考えていないからだ」

と片付けてしまうのは、少し違う気がする。

今回の親戚だって、何も考えていなかったわけではない。

自分なりに情報を集めて、自分なりの結論まで出していた。

ただ、その結論を裏付けるところまで行かなかった。

そこには、「そもそも何を調べればいいのか分からない」という問題もあるのだと思う。

人は興味のないことを、なかなか調べない

そもそも、人間は興味のないことを積極的に調べない。

国民健康保険の仕組みなんて、正直かなり地味な話だ。

保険料がいくらになるのか。

どうやって加入するのか。

会社の健康保険と何が違うのか。

そんなことを、何もきっかけがない状態で自発的に調べる人のほうが少ないのではないだろうか。

多くの人は、

「みんな払っているから」

「会社から言われたから」

「親に言われたから」

「役所から通知が来たから」

という理由で手続きをしている。

つまり、仕組みを完全に理解したうえで行動しているとは限らない。

ただ、必要な場面で誰かに教えてもらったり、通知が来たりしているから、結果的に正しい手続きをしているだけなのだ。

そう考えると、あの親戚も、私たちとそれほど遠い存在ではないように思えてくる。
グル子は「お金がない人ほど『今なんとかする』を繰り返す」で、お金と行動パターンの関係について書いています。 お金がない人ほど「今なんとかする」を繰り返す

私だって「みんなと同じ」ができる人間ではない

私自身、何でもきちんとできる人間ではない。

むしろ、

「みんながやっているから」

「こうしなければいけないと言われたから」

という理由だけでは、なかなか納得できないタイプだ。

だからこそ、

「なぜこれをしなければならないのか」

を考える。

なぜ必要なのか。

やらなかったらどうなるのか。

誰のためにある制度なのか。

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そういうことを理解して、ようやく行動できる。

たぶん、私が今のところ社会人としてなんとかやっていけているのも、最低限そういう過程を踏む癖があるからなのだと思う。

でも、考えてみれば、あの親戚も根本的な部分ではそこまで違わないのかもしれない。

彼も「自分なりに考える」というところまではやっている。

ただ、その考えを事実と照らし合わせて確認するところが抜けていた。

私の場合は「なぜ?」と考えたあとに、「本当にそうなのか?」まで確認する。

その違いは、意外と大きいのかもしれない。

「知らない人」を笑う前に

もちろん、今回の件については本人にも問題がある。

自営業をしている以上、自分の生活や仕事に関わる制度について調べる必要はある。

親に頼り続けるのではなく、自分で知ろうとすることも大切だ。

でも、私は今回、本人を笑ったあとに、

「じゃあ、自分は何をどれだけ知っているんだろう」

と思った。

たまたま今までの人生の中で、誰かに教えてもらったこと。

必要になって調べたこと。

失敗して覚えたこと。

そうやって身につけてきた知識を、いつの間にか「常識」だと思っているだけなのかもしれない。

自分が知っていることを、他人も当然知っていると思ってしまう。
グル子は「相手の立場になって考えるということ」で、この視点についてさらに深く書いています。 相手の立場になって考えるということ

これは、結構危険なことだと思う。

人によって育った環境も違えば、周りにいる人も違う。

教えてもらったことも違う。

何かを知るきっかけがあった人と、なかった人がいる。

そして、たとえ自分なりに考えたとしても、その考えを検証する方法を知らない人もいる。

だから、「そんなことも知らないの?」と笑うのは簡単だけれど、その人がなぜそこにたどり着いたのかまで考えてみると、見え方は少し変わる。

「考える」と「確かめる」は別のこと

今回の出来事で、私は「知識があること」以上に大事なのは、

考えることと、確かめることをセットにすることなのではないか

と思った。

何も考えずに人の言うことをそのまま信じるのも危ない。

でも、自分で考えたからといって、その答えが正しいとも限らない。

だから、

「私はこう思う」

で終わらせず、

「本当にそうなのか?」

と一度確認する。

そのために調べたり、人に聞いたり、専門家に確認したりする。

社会で生きていくうえでは、こういう小さな作業の積み重ねが意外と重要なのだと思う。

今回の親戚に足りなかったのは、考えることではなく、その先の「立証」だった。

自分の中では筋が通っていた。

だからこそ、そこで止まってしまった。

でも、自分の考えと社会のルールが一致しているとは限らない。

その間を埋めるのが、「調べる」という作業なのだと思う。

知識がないことより、知ろうとできること

今回、最初はただ面白い話だった。

「保険に入ってないから払ってない」

なんて、そんなことある?と思って、私は大爆笑した。

でも、改めて考えてみると、これは誰にでも起こりうることなのかもしれない。

自分が知らないことは、まだまだたくさんある。

そして、その中には、自分では「知らないことにすら気づいていないこと」もきっとある。

だから私は、知らないこと自体を恥ずかしいとは思わない。

知らないなら、知ればいい。

間違って考えていたなら、直せばいい。

ただ、自分の考えを「きっとこうだ」で終わらせず、

「本当にそうなのか?」

と確認することは忘れないようにしたい。

結局、私もその親戚も、最初は何も知らないところから始まっている。

違うのは、どこで誰かに教えてもらったか、どこで自分で調べたか、そして最後に自分の考えを確かめたか。

そう考えると、「世間知らず」という言葉も、少し違って見えてくる。

人は知らないことだらけだからこそ、「知らない」ことよりも、「知らないことを知ろうとできるか」が大切なのだと思う。

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しゃば

このサイトの設立者兼管理人。運営や編集を担当しています。普段は裏方にいることが多く、記事を書くことはほとんどありませんが、たまにひょっこり登場します。

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