"立派な親"になろうとしていた私
長女を育てていた頃の私は、
子供のためというより、自分のために子育てをしていたのかもしれません。
「両親みたいにはなりたくない。」
「シングルマザーだからと言われたくない。」
「若くして出産したからと言われたくない。」
そんな思いが強く、人の目や世間の評価ばかりを気にしていました。
人の言葉に振り回されていた
赤ちゃんは何度靴下を履かせても脱いでしまいます。
そもそも赤ちゃんは足で体温調節をするため、履かせない方がいいという考え方もあります。
だから私は、その日の気温や体調を考えながら判断していました。
それでも外へ出ると、
「靴下履いてないと寒いね。」
そんな言葉を掛けられることがありました。
今なら、
「ありがとうございます。でも大丈夫です。」
そう思えます。
でも当時の私は違いました。
何気ない一言にも傷つき、
「私はちゃんと育児ができているのかな。」
そんなふうに自分を責めていました。
今振り返ると、
人は思っている以上によく見ています。
でも、その言葉に責任を持っている人は少ない。
だからこそ、人の評価ばかり気にしていた私は、自分の考えを見失っていたのだと思います。
子供のためではなく、自分のためだった
長女は生後7か月で職場の託児所へ通い始め、1歳で保育園へ入園しました。
保育園選びも、本当は幼稚園へ通わせたいと思っていました。
シングルで働かなければ生活できなかったため、それは諦めましたが、少しでも幼稚園に近い教育方針の保育園を選びました。
当時は、
「子供のため」
そう思っていました。
でも今なら分かります。
あれは子供のためではありませんでした。
「シングルだから。」
「若くして産んだから。」
そう思われたくなかった。
立派な子に育てたい。
立派な母親と思われたい。
そんな私自身の見栄やエゴだったのです。
私が「人の目」を気にして生きていた理由については、こちらでも書いています。 他人の人生を生きるのをやめた日
障がいのある娘が変えてくれた価値観
長女には厳しく接していました。
厳しく育てること自体が悪いとは思っていません。
でも、その厳しさは子供のためではなく、自分の理想を押し付けていただけでした。
そのことに気付かせてくれたのが次女でした。
次女の障がいが分かった時、
私の価値観は大きく崩れました。
子供は健康に生まれてくるもの。
そんな当たり前だと思っていたことが、一瞬で覆されたのです。
「なぜうちの子が。」
そう思ったこともあります。
昨日まで当たり前だった未来は、どこにもありませんでした。
これまで人生設計を立てながら生きてきた私は、
想定できない未来が怖くてたまりませんでした。
正解のない子育て
病気について知るために、
同じ境遇のお母さんへ連絡を取り、
話を聞き、
分厚い医学書も何冊も読みました。
知れることは全部知りたい。
そう思っていました。
でも現実は違いました。
指定難病には治療法がないものも多く、
分からないことばかりでした。
そこで初めて、
「未来は誰にも分からない。」
ということを受け入れました。
すると、不思議なことに人の目が気にならなくなりました。
長女への接し方も自然と変わっていきました。
その後、「家庭環境は本当に繰り返されるのか」と考えるようになった出来事についても書いています。 家庭環境は繰り返されるのか
子供の人生は子供のもの
今の私は、
子供には自分の人生を生きてほしいと思っています。
親が言ったから。
友達が言ったから。
世間がこうだから。
そんな理由で人生を決めてほしくありません。
どんな道でも、
自分で考え、
悩み、
選んだ道なら、
私は
「あなたなら大丈夫。」
そう言える親でいたい。
もし迷っていたら、
知らないことを教えてあげたい。
選択肢を増やしてあげたい。
それが今の私の子育てです。
他人の人生ではなく、自分の人生を
今の私は、人の目を気にして子育てはしていません。
「どう見られるか」ではなく、
「私はどんな親でいたいのか。」
それだけを考えています。
世の中には偏見があります。
見た目だけで判断されることもあります。
でも、本当の家庭の姿は、その家族にしか分かりません。
もちろん虐待やネグレクトは別です。
守らなければならない命があります。
それでも、それ以外の子育てに正解はありません。
私は、子育てだけではなく、
誰もが他人の人生ではなく、
自分の人生を生きられる世の中になってほしいと思っています。
それがきっと、
子供にとっても、
親にとっても、
一番幸せなことなのではないでしょうか。