人を見ていて、気になったこと

先日、グル子と話をしていた時のことです。

ある共通の知人の話になりました。

その人は、とにかく人から認められたい気持ちが強い人でした。

自分が評価されるためなら、平気で人を下げるような発言をしたり、誰かより上に立とうとしたりする。

そんな姿を見ていて、

「どうしてそこまで人に認められたいんだろう。」

そんな話になりました。

私は昔から、人の行動を見て「なんでだろう」と考える癖があります。

だから今回も、

「性格が悪い。」

それだけで終わらせたくありませんでした。

人の行動には、その人なりの理由があると思うからです。

もちろん本人に聞いたわけではないので、本当の気持ちは分かりません。

でも、人の心について考えることは、自分自身を知ることにも繋がる気がしています。

上に立ちたい人ほど、自分と向き合えていないのかもしれない

私は、人を蹴落としてまで評価を求める人を見ると、不思議に感じます。

本当に自分に自信がある人は、わざわざ誰かを下げる必要がないからです。

逆に、自分の価値を心の底では信じられていない人ほど、誰かと比べ続けなければ安心できないことがあるのではないかと思います。

誰かより給料が高い。

誰かより仕事ができる。

誰かより認められている。

そんなふうに勝ち負けでしか自分の価値を測れなくなると、周りの人がすべてライバルに見えてしまいます。

誰かが褒められると、自分の価値が下がったように感じてしまう。

でも本当は、誰かが評価されたからといって、自分の価値が減るわけではありません。

それでも苦しくなってしまうのは、自分自身の価値を他人との比較でしか確認できなくなっているからなのかもしれません。

人は、自分を守るために他責にすることがある

人は失敗した時、自分の間違いを認めることが苦しく感じることがあります。

「自分が悪かった。」

そう認めてしまえば、自分を変えなければいけなくなるからです。

だからこそ、

誰かのせいにする。

環境のせいにする。

タイミングのせいにする。

そうやって自分を守ろうとすることがあります。

もちろん、本当に理不尽な出来事もあります。

すべてを本人の責任にすることはできません。

ただ、いつも周りのせいにしていると、自分自身を変えるきっかけを失ってしまいます。

人を責めている間は、一時的には楽です。

でも、現実を変えられるのは、最終的には自分自身なのだと思います。

羨ましいという気持ちは、悪いものじゃない

私は、人を羨ましいと思うこと自体は悪いことではないと思っています。

「あの人みたいになりたい。」

そう思えることは、成長するきっかけにもなります。

問題なのは、その気持ちが嫉妬に変わってしまう時です。

「あの人だけずるい。」

「失敗すればいいのに。」

そう思った瞬間、意識は相手ばかりに向いてしまいます。

でも、本当に見るべきなのは相手ではなく、昨日の自分です。

人と比べ続けても終わりはありません。

上には上がいるからです。

だから私は、比べるなら昨日の自分でいいと思っています。

承認欲求は、誰にでもある

承認欲求という言葉は、最近では悪い意味で使われることも増えました。

でも、認められたいと思うこと自体は、ごく自然な感情です。

仕事で褒められたら嬉しい。

「ありがとう」と言われたら嬉しい。

自分の存在を必要としてもらえたら嬉しい。

それは誰でも同じです。

ただ、その評価がないと自分には価値がないと思い始めると、苦しくなります。

評価されるために頑張る人生は、評価されなくなった瞬間に自分を見失ってしまうからです。

承認欲求をなくす必要はないと思います。

でも、自分の価値まで他人に決めてもらう必要はない。

その距離感が大切なのだと思います。

「人を救いたい」という気持ちも、承認欲求なのかもしれない

承認欲求というと、「目立ちたい」「褒められたい」という形を想像する人が多いかもしれません。

でも、人によっては「人を救いたい」という形で表れることもあるように感じます。

落ち込んでいる人を見ると放っておけない。

相談されたら何とか力になりたい。

もちろん、それは純粋な優しさであることもあります。

ただ、人を見ていると、それだけでは説明できない場面にも出会います。

誰かを助けることで、

「あなたのおかげで助かった。」

「あなたがいてくれて良かった。」

そう言われることで、自分の存在価値を確認しているように見える人です。

また、自分より苦しそうな人を見ることで、

「自分はまだ大丈夫だ。」

と安心しているように感じることもあります。

本人はそんなつもりではないのかもしれません。

だから、これは善悪の話ではありません。

人を助けることで、相手だけではなく、自分自身も救っていることがあるのではないか。

私はそう思うことがあります。

誰かの役に立ちたい気持ちは素敵なことです。

でも、それがいつの間にか、

「必要とされる自分でいたい。」

「価値のある人間だと思われたい。」

という気持ちだけになってしまうと、相手を助けているようで、自分の安心材料にしてしまうこともあるのかもしれません。

だから私は、人を助けたいと思った時ほど、

「これは本当に相手のためなのか。」

「それとも、自分が必要とされたいだけなのか。」

一度考えるようにしています。

「誰かを救いたい」と思う気持ちの裏側にあるものについては、グル子が自身の経験を通してこちらの記事で書いています。 必要とされることでしか、自分の価値を測れなかった

人を分析していて思うこと

私は、人を観察するのが好きです。

「あの人はなんで怒ったんだろう。」

「あの人は何を守りたかったんだろう。」

そんなことをよく考えます。

でも最近思うのは、人を理解することと、人を変えようとすることは違うということです。

理由が分かっても、本人が変わろうと思わなければ何も変わりません。

昔の私は、

「何とか助けたい。」

「分かってもらいたい。」

そう思って関わることが多くありました。

でも今は、その人の人生を歩くことはできないと分かっています。

できるのは、きっかけを与えることまで。

変わるかどうかは、その人自身が決めることです。

だからこそ、人との距離感も大切なのだと思うようになりました。

最後に

人から認められたい。

それは誰にでもある感情です。

でも、そのために誰かを蹴落としたり、他人と比べ続けたりする人生は、きっと苦しいものになると思います。

人の評価ではなく、自分の基準で生きることについては、こちらの記事でも書いています。 他人の人生を生きるのをやめた日

本当に欲しかったのは、

誰かに勝つことではなく、

「そのままの自分でも大丈夫。」

そう思える安心感だったのかもしれません。

人の評価は、その日によって変わります。

でも、自分が積み重ねたものだけは、誰にも奪われません。

それが少しずつ、本当の自信になっていくのではないでしょうか。

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しゃば

このサイトの設立者兼管理人。運営や編集を担当しています。普段は裏方にいることが多く、記事を書くことはほとんどありませんが、たまにひょっこり登場します。

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