「この人、仕事ができそう」

面接や人付き合いの中で、私たちは無意識に人をそんなふうに判断している。

話し方が上手い。
受け答えがしっかりしている。
愛想がいい。
自信を持って話している。

そういう人を見ると、「きっと仕事もできるんだろう」と思ってしまう。

反対に、口下手だったり、緊張してうまく話せなかったり、愛想がなかったりすると、それだけで「この人は大丈夫かな」と思われてしまう。

でも、本当にそれでいいのだろうか。

私はこれまでいろいろな人と働いてきて、人の本質と、面接で見える姿は、必ずしも一致しないと感じるようになった。

面接で見えているのは、その人のほんの一部分

もちろん、面接でコミュニケーション能力を見ること自体が悪いとは思わない。

仕事によっては、人と話すことが重要な能力になる。

ただ、面接で見える「印象」と、その人が実際に働いたときの姿は別物だ。

どれだけ素晴らしい経歴があっても、どれだけ能力があっても、面接の場では結局、それらは履歴書や職務経歴書に書かれた文字の羅列でしかない。

だからこそ、最後は「この人と一緒に働きたいと思えるか」という印象に左右されることが多い。

もちろん、まったくの未経験だったり、勤務条件が合わなかったりすれば、それだけで採用が難しくなることもある。

でも、条件が合っていて、経験や能力にも大きな差がないのであれば、

「話し方が上手い」
「愛想がいい」
「それっぽいことを言える」

そんな部分が、思っている以上に大きな判断材料になっているように感じる。

そして私は、それで本当にいいのだろうかと思ってしまう。

以前、飲食店で求人を出したときのこと

以前、飲食店で働いていた頃、求人募集をしたことがあった。

そのとき、3人の候補者がいた。

Aさんは、ある職種の免許を持っていて、これまでずっとその仕事をしていた人。

ただ、飲食業界にも興味があり、応募してきた。

Bさんは、地元を離れてアパレルショップで店長をしていた人。

事情があって地元に戻り、飲食業界で働こうとしていた。

そしてCさんは、高校生。

今回が初めてのアルバイトだった。

私は、この3人の中ではCさんを採用したいと思っていた。

理由は単純だった。

その頃、店で一番足りていなかったのが土日だったからだ。

Cさんは学生なので、土日を中心に働きたいという希望だった。

店にとっては、まさに必要としていた条件だった。

一方で、AさんとBさんにはそれぞれ前職があり、どちらも別の業界から飲食業界に入ろうとしていた。

もちろん、それ自体が悪いことではない。

ただ、私は飲食業界で長く働いていたので、飲食店という仕事が外から見えるほど和やかなものではないことも知っていた。

忙しい時間帯は本当に忙しい。

体力も使う。

思い通りにならないことも多い。

そして何より、飲食の仕事を「ちょっとやってみたい」という気持ちだけで続けるのは、簡単ではない。

だから私は、

「本当にこの人たちは、この仕事を続けるのだろうか」

という疑問を持っていた。

対してCさんは、まだ社会人経験もなく、他の仕事と比較する材料もない。

少なくとも「前の仕事の方が良かった」と思って戻ってしまう可能性は低い。

そして何より、本人が希望している土日に働ける。

私はそこに可能性を感じていた。

でも、オーナーが選んだのは違う人だった

結果的に、オーナーの判断は私とは違った。

Cさんは面接での受け答えがあまり上手ではなかったらしい。

愛想もあまりないと判断された。

一方でAさんとBさんは、受け答えも上手で、愛想も良く、面接での印象が非常に良かった。

さらに二人ともフルタイムで働けて、土日も入れるという話だった。

その結果、採用されたのはAさんとBさんだった。

面接だけを見れば、当然の結果だったのかもしれない。

経験がある。

受け答えができる。

愛想がいい。

勤務時間も幅広く対応できる。

一見すると、非常に魅力的な人材に見える。

でも、実際に働き始めて数ヶ月が経つと、少しずつ状況が変わっていった。

まずBさんは、無断欠勤が増えていった。

そして、結局1年も経たないうちに退職した。

Aさんも数ヶ月経った頃から、

「前の仕事に戻りたい」

と言うようになった。

そして、こちらもだいたい1年ほどで退職した。

二人とも仕事を覚えるのは早かった。

経験もあったので、即戦力として働いてくれた。

だから、「仕事ができなかった」という話ではない。

ただ、プライベートを優先して土日に入れないことも多かった。

面接のときには「土日も入れます」と言っていたとしても、実際に働き始めれば、その約束がずっと続くとは限らない。

私はそれを見ていて、

「やっぱりそうなったか」

と思ってしまった。

面接での「やる気」は、どこまで信用できるのか

面接では、

「やる気があります」

「どうしてもここで働きたいです」

「頑張ります」

という言葉がよく出てくる。

もちろん、本当にそう思っている人もいるだろう。

でも、私はこれまで働いてきた中で、そういう言葉を面接で熱く語った人が、そのままドラマのように大きく成長していく姿を、あまり見たことがない。

そもそも、仕事をする以上、ある程度やる気を持って働くのは当たり前ではないだろうか。

それなのに、

「私はこんなにやる気があります」

と熱量を持ってアピールできる人の方が評価される。

そうなると、逆に思ってしまう。

「それを言えること自体が、そんなに重要なのだろうか」と。

本当に仕事を大切にしている人ほど、アピールすることがない

私は、振られた仕事は絶対に手を抜かない。

仕事を任されたなら、きちんとやる。

それは特別なことではなく、自分にとっては当たり前だ。

そして、仕事に対して本当にリスペクトがある人ほど、もしかすると面接で話せることが少ないのではないかと思う。

なぜなら、

「責任を持ってやる」

「手を抜かない」

「任されたことをきちんとやる」

そんなことを、わざわざ自分からアピールしようとは思わないからだ。

自分にとっては当たり前だから。

でも、社会ではその「当たり前」を、熱量を持って言葉にできる人の方が評価されることがある。

「私は誰よりも頑張れます」

「この仕事が大好きです」

「絶対に成長します」

そういう言葉を、自信満々に言える人。

公認心理師(国家資格)のみが登録!オンライン心理カウンセリング【Kimochi】

自分の気持ちを言葉にするのが難しいと感じるとき、公認心理師に相談できるオンラインカウンセリング【Kimochi】という選択肢もあります。

公認心理師(国家資格)のみが登録!オンライン心理カウンセリング【Kimochi】

詳細を見る

実際にはどうなのか分からなくても、面接という短い時間の中では、その人の方が魅力的に見える。

「人を見る」のではなく「人を演じる」ことが求められている

考えてみれば、面接というのは少し不思議なものだ。

普段の仕事ぶりを見るわけではない。

何ヶ月も一緒に働くわけでもない。

ほんの数十分、場合によっては1時間程度話しただけで、

「この人は仕事ができそう」
「この人はうちに合いそう」

と判断する。

だからこそ、面接では「実際の自分」よりも、「面接で評価される自分」を作る能力が重要になってしまう。

話し方を練習する。

笑顔を作る。

質問されたら、それらしい答えを返す。

企業が求めていそうなことを言う。

もちろん、それも一つの能力なのだと思う。

ただ、それが本来の仕事の能力とは別のところで評価されてしまうことに、私は違和感がある。

社会人経験がないことは、本当にマイナスなのか

先ほどのCさんのような人を考えてみる。

高校生で、初めてアルバイトをする。

社会人経験はない。

面接での受け答えも上手ではない。

愛想もそれほどない。

でも、土日に働きたいという明確な希望があり、これから仕事を覚えていくことができる。

私は、こういう人材をもっと長い目で見てもいいのではないかと思う。

社会人経験がないからこそ、まだ何にも染まっていない。

もちろん、これは悪い意味にも取れる。

でも逆に言えば、これから仕事を覚え、働き方を身につけていけるということでもある。

社会人経験がない子に、最初から完璧な受け答えや愛想の良さを求める必要があるのだろうか。

それを教えていくのが、経験のある大人や先輩の役割でもあるのではないか。

もしかしたらCさんは、きちんと教えていけば非常に優秀な人材になったかもしれない。

卒業後、そのまま正社員として働いてくれたかもしれない。

少なくとも私は、そんな可能性を感じていた。

肩書きやコミュニケーション能力だけでは、人の本質は分からない

これは、このときだけの話ではない。

私はこれまで、人が評価される場面をたくさん見てきた。

そこで感じるのは、どうしても人は「その人自身」よりも、

肩書き。

経歴。

話し方。

コミュニケーション能力。

第一印象。

そういった分かりやすいものから判断されやすいということだ。

もちろん、これらもその人を知るための大切な情報ではある。

でも、それだけで人間性や仕事に対する姿勢まで判断できるわけではない。

口下手でも、仕事をさせたらものすごくできる人はいる。

面接では緊張して何も話せなくても、実際に働かせてみたら誰よりも真面目な人もいる。

人付き合いが得意ではなくても、周りをよく見て、困っている人を自然に助けられる人もいる。
グル子は「与えない人ほど、欲しがる」で、人間関係における対等さについて書いています。 「与えない人ほど、欲しがる」人間関係の中で大切にしたい「対等」ということ

逆に、面接では非常に印象が良くても、実際に働いてみると約束を守らなかったり、責任を持てなかったりする人もいる。

結局、人間は一度会っただけでは分からない。
グル子は「人に対する熱量を下げると、生きやすくなる」で、人との距離感について考えています。 人に対する熱量を下げると、生きやすくなる

私は「口が上手い人」が嫌いなわけではない

ここは誤解してほしくない。

私は、コミュニケーション能力が高い人を否定したいわけではない。

話すことが上手いことも、愛想がいいことも、立派な能力だと思う。

問題なのは、

「話すのが上手い=仕事ができる」

というように、それ以外の部分まで簡単に判断されてしまうことだ。

そして、話すことが苦手な人が、それだけで過小評価されてしまうことだ。

私は、そこに違和感を持っている。

もっと「実際にどう働くか」を見てほしい

人を採用する側からすれば、短時間の面接で判断しなければならない事情も分かる。

すべての人を何ヶ月も働かせてから採用することなんてできない。

だから面接が必要なのも分かる。

それでも、私は思う。

人を評価するときに、もう少しだけ「実際にどう働く人なのか」を見てもいいのではないか。

口下手でもいい。

面接で緊張してもいい。

愛想がなくてもいい。

もちろん、最低限のコミュニケーションは必要だ。

でも、それだけで「この人はダメ」と決めつけてしまうのは、あまりにももったいない。

その人が仕事を任されたときにどうするのか。

約束を守るのか。

困っている人がいたらどうするのか。

見えないところでも手を抜かないのか。

長く働く意思があるのか。

本当に見るべきなのは、そういう部分なのではないだろうか。

私は、取り繕うことが上手な人よりも、口下手でも実力がある人。

そして、特別なことを言わなくても、真面目に仕事に向き合い、周りのことを考えられる人。

そんな人が、もっと正当に評価される社会になってほしいと思っている。
グル子は「正しい優しさ」って、誰が決めるんだろうという問いを、別の角度から掘り下げています。 「正しい優しさ」って、誰が決めるんだろう

声が大きい人だけが評価されるのではなく、

「当たり前のことを、当たり前にやる」

そんな人の価値にも、もっと目を向けてほしい。

結局、人間の本当の姿は、数十分の面接ではなく、何ヶ月、何年と一緒に働いて初めて見えてくるものなのだから。

しゃばのプロフィール画像

しゃば

このサイトの設立者兼管理人。運営や編集を担当しています。普段は裏方にいることが多く、記事を書くことはほとんどありませんが、たまにひょっこり登場します。

新着記事をいち早くチェックしませんか?

新着記事のお知らせはもちろん、おすすめ記事の紹介や、著者・カテゴリー別の検索もLINEで。ここだけのちょっとした話も、こっそりお届けします。

LINEで更新通知を受け取る