今までいくつかの記事を書いてきて、
きっと私は「人に対して熱心で、熱い人なんだろうな」と思う人もいると思う。
ただ、いろいろな経験をしてきた今は、自分にとって無駄なことはしないと決めている。
昔の私は、人に合わせすぎていた
例えば、飲み会に行って、
「もう帰りたいな」
と思っていても、
「ここで帰ったら、どう思われるんだろう」
と考えて、帰らずに残っていた。
本当はゆっくりしたい休日に、
「急に仕事に入れない?」
と聞かれたら、相手の顔色を気にしてしまう。
断ることの方が面倒だと思って、結局引き受けてしまう。
今思えば、昔の私は、自分のためにならないことをかなりしてきたと思う。
もちろん、人と関わる以上、相手に合わせることも必要だと思う。
でも、それがいつも「自分が我慢する側」になっているなら、それはもう優しさとは少し違う。
「正しい優しさ」って、誰が決めるんだろう。そんなことを考えた記事はこちら
「正しい優しさ」って、誰が決めるんだろう
人は、結局「自分が大事」
なぜ、こういうことを「自分のためにならない」と感じるようになったのか。
それは、人との繋がりには、どうしてもメリットやデメリットがあると思うようになったから。
もちろん、全員が全員そうだとは思っていない。
中には、本当に見返りを求めず、心から人のために動ける人もいる。
ただ、そういう人は少数派だと思う。
圧倒的に多いのは、
「自分が大事」
「自分を優先する」
という人なんじゃないかなと思う。
それ自体は、悪いことではない。
自分の人生なんだから、自分を優先するのは当たり前でもある。
だからこそ、私は人に期待しすぎなくなった。
人に期待することは、自己責任でもある
人に期待するということは、自己責任だと思っている。
自分の中で、
「この人はこういう人」
という理想像を勝手に作る。
そして、その理想像と違う一面を見た時に、
「なんか違う」
と勝手に違和感を持つ。
そこから、
「この人はこうあるべき」
と、自分の枠にはめようとしてしまう。
でも、その「こうあるべき」は、誰が決めたものなんだろう。
自分が勝手に作ったものかもしれない。
確かに、秩序は守るべきだと思う。
法律や社会のルール、最低限の常識。
そういうものには、ある程度の共通認識があると思う。
でも、そこに含まれない「正しさ」は、本当にたくさんある。
「正しさ」は、そんなに簡単に決められない
自分の基準や価値観で相手の行動を見て、
「それはおかしい」
「普通はこうする」
「そんなのありえない」
と判断する。
そして、自分の思い通りにならない相手に対して、裏でコソコソ言ったり、悪口を言ったりする。
自分の価値観に共感してくれる人を集めて、
「ほら、みんなそう思ってる」
と、多数決のように「正しさ」を決めてしまう。
でも、私はそれにあまり意味を感じなくなった。
今、自分が正しく生きられていて、「世間一般」や「普通」に馴染めていたとしても
いつ自分がその「普通」に馴染めない状況や環境になるかなんて分からない。
誰だって、間違えることはある。
誰だって、自分ではどうしようもない状況になることもある。
そもそも、そんなに立派な人や、完璧にできた人間なんて、そうそういない。
だからこそ、間違った人間を人同士でけなし合うことほど、無駄なものはないと思っている。
「与える・もらう」のバランスと、対等な人間関係について書いた記事もあります
「与えない人ほど、欲しがる」人間関係の中で大切にしたい「対等」ということ
私は、人を引き止めなくなった
私は今、人に対して変に期待をしなくなった。
例えば、ものすごく仕事ができる人が、
「会社を辞めます」
と言ったとしても、私は引き止めないと思う。
もちろん、会社として必要な人なら、
「辞められたら困る」
と思うことはある。
でも、情に訴えて引き止めても意味がないと思っている。
その人が、考えて、悩んで、決断したことなら、その意思は尊重したい。
誰かの一言や感情論で簡単に揺らいでしまうくらいなら
そもそも本人の意思がそこまで強くなかったということでもあると思う。
そして、無理に引き止めたことが
その後その人にとってマイナスな影響を与える可能性もある。
だから、
「そう決めたなら、頑張って」
くらいで送り出す。
あと、単純に人の人生に、そこまで興味がない(笑)
いついなくなるかなんて、誰にも分からない
今、自分が関わっている人も、いついなくなるかなんて分からない。
仕事を辞めるかもしれない。
遠くに引っ越すかもしれない。
価値観が変わって、付き合いがなくなるかもしれない。
人生なんて、何が起こるか分からない。
だから私は、
「その人がいなくても、生きていける自分でいる」
ことが一番大切だと思っている。
誰かに依存しない。
誰かがいなくなったら、何もできなくなるような状態にしない。
もちろん、大切な人は大切にする。
助けてもらったら感謝する。
一緒にいる時間も大事にする。
でも、
「この人がいないと生きていけない」
というところまでは、持っていかない。
それくらいの距離感の方が、私は生きやすい。
与えるのはできても、与えられるのが苦手
だからなのかもしれない。
私は、人に何かを与えることはできても、逆に人から何かを与えてもらうことが苦手だ。
助けてもらうより、自分でやった方が楽。
頼るより、自分で何とかした方が楽。
誰かに期待するより、自分でできるようにしておいた方が安心する。
昔は、それを「自分は強いから」だと思っていた。
でも今は、少し違う気もしている。
人に熱量を注ぎすぎて、自分が疲れてしまったからこそ、
分かっていても、自分にとって良い選択をできない理由を書いた記事はこちら
分かっているのに、幸せを選べない
「人にそこまで期待しない」
という生き方を覚えたのかもしれない。
冷たくなったわけじゃない。
人を大切にしなくなったわけでもない。
ただ、
「この人のために、ここまでする必要があるのか」
「これは本当に私がやることなのか」
と、一度考えるようになった。
昔の私は、人に対する熱量が高すぎた。
今は、その熱量を少し下げている。
その方が、人のことも、自分のことも、少し冷静に見られる。
そして何より、
自分の人生を、自分のために使えるようになりたかった。
今の私はたぶん、これくらいがちょうどいい。
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