14歳の頃、私は過ちを犯した。
その後、保護観察の期間を過ごし、そこを出てからは通信制の高校に通いながら、フリーターとして働いていた。
周りの同年代が高校生活を送って、その先の進学や就職を考えている頃。
私は、少し違う場所にいた。
当時の私は、自分がどれだけ多くの人の気持ちを踏みにじったのか、本当の意味では分かっていなかったのだと思う。
でも、働くようになって、お金を稼ぐことの難しさや、社会で生きていくことの大変さを少しずつ知っていった。
自分が当たり前だと思っていたことは、誰かが時間を使い、働き、苦労して手に入れたものだった。
そこで初めて、自分がしたことがどういう意味を持っていたのかを、自分自身の生活を通して考えるようになった。
もちろん、反省したからといって過去がなくなるわけではない。
今でも、私のことを許していない人はいると思う。
むしろ、そういう人からすれば、私が今こうして普通に生活していること自体、たまったものではないかもしれない。
それは当然だと思っている。
私が過去にしたことは、なかったことにはできない。
だからこそ、過去を消そうとするのではなく、その後の人生をどう生きるかを考えるようになった。
そんな私が、今はWeb制作をしている
20代半ばで結婚して、子どもが生まれて、しばらくは専業主婦をしていた。
そんなある日、知り合いから「開業したばかりだから、Webサイトを作ってほしい」と頼まれた。
それが、今の仕事との出会いだった。
正直、最初は「私にできるのかな」と思った。
Webサイトなんて作ったこともない。
でも、分からないなら調べればいい。
そう思って、ひたすら調べた。
コードを書いて、表示してみる。
うまくいかなければ、また調べる。
書き直す。
表示する。
またおかしくなる。
その繰り返しだった。
そして、ひとつのサイトを完成させるのに、約1年かかった。
今考えると、ものすごく時間がかかったと思う。
それでも、自分が書いたコードによって、画面に自分が思い描いたものが表示される。
そして、それが実際に動く。
その瞬間が、とにかく面白かった。
中学生の頃、私は部活動にもかなり熱心に取り組むタイプだった。
何かに夢中になると、とことんやる。
そんな自分の性格もあったのかもしれない。
一度Web制作にハマってからは、どんどん面白くなっていった。
最初のサイトを作った後も、仕事と家事をしながら、自分で作ってみたいものを作ったり、一度作ったものを改修してみたり。
実際に手を動かしながら覚えていった。
そして、いつしか「これを仕事にしたい」と思うようになった。
Web制作一本でやっていくために、それまでの仕事を辞めて、今に至っている。
「もっと早く出会いたかった」と思うこともある
正直、もっと早くこの仕事に出会っていたらと思うことはある。
私は、周りの人たちが将来のことを考えて進学したり、就職したり、自分の人生を作っていった時期に、まともな時間を過ごしてこなかった。
当然、学歴もない。
大した職歴もない。
普通に生きてきた人と比べれば、最初から持っているものは少なかったと思う。
でも、もし10代や20代前半の頃にWeb制作という仕事に出会っていたとしても、今と同じように夢中になれたかと言われると、たぶん分からない。
あの頃の私には、あの頃の私の人生があった。
だから結局、今だったのだと思う。
遠回りだったのかもしれない。
でも、今の自分だからこそ、この仕事に出会って、ここまで夢中になれたのかもしれない。
私が「ものを作ること」が好きなのは、親の影響なのかもしれない
今になって考えると、私が一人で何かを作ることが好きなのには、親の影響もあるのかもしれない。
父は大工で、一人親方として仕事をしていた。
自分で考えて、自分で作って、仕事をしていく。
そんな姿を見て育ったからか、私自身も一人で考えて動くことにあまり抵抗がない。
ものを作ることが好きなのも、どこか似ているのかもしれない。
子どもの頃は、そんな父親が大嫌いだった。
かなり亭主関白で、自分の言うことが絶対。
少し反抗すると椅子が飛んでくるような、すぐに怒る父親だった。
母も昔はかなり短気で、小学生の頃は毎日のように怒られたり、ビンタされたりしていた。
「自分はできない子なんだ」と思ってしまうような時期もあった。
今でいう自己肯定感が低くなるような環境だったと思う。
自己肯定感の低さについて、別の記事でも書いています。
自己肯定感が低い人は、褒められるのが苦手?
でも、そんな環境の中でも、私は自分のやりたいことを諦めるタイプではなかった。
今思えば、これも父親譲りなのかもしれない。
父はとにかく頑固で、一度こうと決めたらなかなか曲げない人だった。
そんな父親を見て育った私も、良くも悪くも「自分がこうしたい」と思ったことは、簡単には諦めない性格になっていた。
「どうやったら母を説得できるだろう」と考えて、時には嘘までついて、自分の思い通りにしようとしていた。
今考えると、そこで人の心理を考えたり、物事を順番に考えたりする癖が身についたのかもしれない。
そんな母の考え方が、自分にも受け継がれているのかもしれないと思った出来事がある。
昔、父と大喧嘩をして、家を飛び出したことがあった。
もう実家を出て、一人暮らしをしよう。
そう決意していた。
そのとき、母から電話がかかってきた。
今は家にいることがしんどいかもしれない。
でも、お金がない状態で出ていくより、実家にいる間は家賃もかからないんだから、その間にお金を貯めてから出ていったほうがいい。
そんなことを言われた。
正直、すごく意外だった。
「そんなことを言うんだ」と、ちょっとびっくりしたのを覚えている。
でも、後になって考えてみると、ものすごく合理的な話だった。
そのときの感情だけで考えれば、「もう嫌だから今すぐ出ていく」になる。
でも、その先の生活まで考えれば、今は実家にいてお金を貯めたほうがいい。
母は、感情とは別に「どうすれば自分にとって一番いい結果になるのか」を考えていたのだと思う。
そして、私もいつの間にか、そういう考え方をするようになっていた。
父からは、ものを作ることだけではなく、仕組みを考えたり、完成までを逆算したりする考え方を自然と見ていた。
母からは、人の心理を考えたり、感情だけで判断せず、どう動けば自分の目的を達成できるのかを考えることを学んだのかもしれない。
今、Web制作をしている自分を考えると、そういうものが意外なところで繋がっている気がする。
私には「知識」より「考え方」が必要だった
もちろん、私は今でも発展途上だ。
何でもできるわけではない。
分からないこともたくさんあるし、失敗することもある。
それでも、以前の自分から考えれば、かなり遠くまで来たと思う。
そして最近、強く思うことがある。
人生を変えるために、必ずしも最初からたくさんの知識や学歴が必要なわけではないんじゃないか、ということ。
私には学歴がない。
立派な職歴もない。
でも、分からないことがあれば調べる。
どうすればできるのか考える。
やってみる。
うまくいかなければ、また考える。
私は、結局これを繰り返してきただけだと思う。
だから私が今の自分を作るうえで必要だったのは、知識そのものよりも、ロジカルに考えることと、実際に行動することだったのだと思っている。
だからといって、努力すれば何でも叶うとは思っていない
ここまで書くと、いかにも自己啓発本のように聞こえるかもしれない。
「努力すれば夢は叶う」
「諦めなければいつか報われる」
「神様は頑張っている人を見ている」
私は、そんなふうには思っていない。
人生はそんなに単純じゃない。
努力しても結果が出ないことはある。
頑張っているのに、なぜか前に進めないこともある。
普通に生きてきた人よりも、私のような人間のほうがぶつかる壁は多いと思う。
過去が原因で、どうしても進めないことだってある。
それは仕方がない。
自分がこれまで好き勝手に生きてきた、その代償でもあると思っている。
だから「過去なんて関係ない」とも思わない。
関係ある。
過去は消えないし、自分がしたことの責任もなくならない。
自分を正当化することについて、別の記事で書いています。
正当化を始めた時点で、答えは出ている
ただ、それでもその先をどうするかは、自分で決めることができる。
私はそう思っている。
人生の結果は、途中では分からない
14歳の頃の私が、今の自分を見たらどう思うだろう。
たぶん、想像もできなかったと思う。
前科を持って、保護観察を受けて、通信制高校に通いながらフリーターをしていた女の子が、結婚して母親になって、今はWeb制作を仕事にしている。
しかも、自分で作ったサイトを見て「もっとこうしたい」と考えている。
今では、まだまだ勉強したいことがある。
もっとできるようになりたいと思っている。
人生なんて、本当にどうなるか分からない。
私は、人生で一度も苦労したことがない人なんて、もしかしたらいないんじゃないかと思っている。
苦労の種類も、タイミングも、人によって違う。
私の場合は、それがかなり早い時期に来ただけなのかもしれない。
だから、今つらいことがあったとしても、それが人生の最終結果だとは思っていない。
途中経過でしかない。
私自身、まだ途中にいる。
そして、人生の結果なんて、たぶん最後まで分からない。
死ぬ瞬間に、自分の人生を振り返ってどう思うのか。
結局、そこまで生きてみないと分からないのだと思う。
だから私は、過去をなかったことにするつもりもない。
グル子は「人生は正解を選ぶことより自分の選択を正解にしていくこと」で、選択とその先の生き方について書いています。
人生は正解を選ぶことより自分の選択を正解にしていくこと
自分がしたことを正当化するつもりもない。
ただ、過去がどれだけ酷いものだったとしても、その後の人生まで全部決められているわけではない。
少なくとも私は、自分の人生でそれを経験している。
前科持ちで、学歴もなくて、大した職歴もなかった私でも、今になって初めて「これをやりたい」と思えるものに出会った。
そして今、それを仕事にしている。
まだ発展途上だし、これから先どうなるかも分からない。
それでも、14歳の頃の自分からここまで来たことだけは事実だ。
人生の経過がどれだけクソだったとしても、その先までクソだと決まったわけじゃない。
私は今、そう思っている。
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