この間、スーパーに行ったときの話。
レジを終えて、買い物した食材を袋に詰めて帰ろうとしていた。
でも、袋の中の食材が少し不安定になっていて、持ち上げたときに玉子のパックを落としてしまった。
「あっ……」
とは思ったけど、私はそこまで気にしなかった(笑)。
私は結構ガサツな性格も持ち合わせているので、玉子のパックを落とした経験は何度かある。
いい加減、学習しろって話なんだけど(笑)。
でも、今まで割れてしまった玉子も、使えそうなものはすぐに使って、残ったものでどうにかやり繰りしてきた。
だから今回も、
「まぁ、割れてたら割れてたで、使えるもの使えばいいか」
くらいに思っていた。
ところが、一緒にいたパートナーはかなり焦っていた。
「だから、不安定だって言ったじゃん」
と、声に出して焦っている。
その様子を見ながら、
「そんなに焦ることかな?」
と思った。
もちろん、玉子を落としたことに対する感覚の違いだと思う。
私にとっては、玉子が何個か割れたところで、その日の生活が大きく変わるわけではない。
使えるものは使えばいいし、足りなければまた買えばいい。
ただ、それをシャバに話したら、
「その考え方は極端やけど(笑)」
と言われた。
確かに、そうかもしれない(笑)。
私も、この件に関しては「気にしなさすぎ」なんだと思う。
もう少し丁寧に扱えよ、という話でもある。
でも、私は基本的に、こういうふうに生きていたい。
凪のように生きたい。
何が起きても、必要以上に波立たない
海が凪いでいるときって、波がほとんどない。
何か大きなことが起きているわけでもなく、ただ静かにそこにある。
私は、そんな感じで生きたい。
もちろん、何か嫌なことがあったら腹も立つし、悲しくもなる。
人間だから、感情がなくなることなんてない。
でも、何か起きるたびに、
「どうしよう」
「最悪だ」
「もう無理」
「なんでこうなったんだろう」
と、自分の中でどんどん波を大きくしたくない。
起きたことは、起きたこと。
そのあとに、
「じゃあ、どうする?」
と考えればいい。
玉子が割れたなら、使えるものを使う。
足りなければ買い足す。
それだけのこと。
もちろん、これは玉子だから言えることなのかもしれない(笑)。
人生には、そんな簡単には割り切れないこともたくさんある。
でも、どんなことでも必要以上に感情を大きくする必要はないと思っている。
起きたことより、自分の反応のほうが大きくなることがある
人って、起きた出来事そのものよりも、その出来事に対する自分の反応で疲れてしまうことがあると思う。
ちょっとしたミス。
誰かの一言。
予定が狂ったこと。
思っていた通りにならなかったこと。
それ自体は、そこまで大きなことではなかったのに、
「なんで?」
「どうしよう」
「最悪」
と考えているうちに、自分の中でどんどん大きな問題になっていく。
もちろん、考えることは必要。
反省することも必要。
でも、考えることと、感情を膨らませ続けることは違う。
私は昔、そこを一緒にしていた気がする。
何かあれば、とことん考える。
相手の言葉の意味を考える。
自分の行動を振り返る。
これからどうなるかを考える。
そして、考えすぎて自分で疲れる(笑)。
今は、少しずつそこから離れたいと思っている。
人生は正解を選ぶことより、自分の選択を正解にしていくことだと思っています。
人生は正解を選ぶことより自分の選択を正解にしていくこと
「どうにかなる」は、諦めではない
私が「まぁ、どうにかなる」と思うことは、何も考えていないわけではない。
どうにもならないことも、もちろんある。
でも、そのときはそのときで、その状況の中でできることをやるしかない。
だから私は、
「どうにかなる」
という言葉を、諦めではなく、ある意味では覚悟に近いものだと思っている。
何が起きるか分からない。
予定通りにいかないこともある。
失敗することもある。
それでも、そのときになったら考える。
今から起きてもいないことまで心配して、自分を疲れさせない。
そのくらいのほうが、私には合っている。
凪でいるためには、全部を気にしない必要はない
もちろん、何でもかんでも「気にしない」で済ませればいいわけじゃない。
気にしたほうがいいこともある。
ちゃんと向き合わなければいけないこともある。
自分の行動を反省することも必要。
だから、「何も気にしない人になりたい」というわけではない。
私がなりたいのは、
必要なことにはちゃんと向き合うけど、必要以上には波立たない人。
たぶん、これが私のいう「凪」なんだと思う。
怒る必要がないところでは怒らない。
焦らなくていいところでは焦らない。
考えなくていいことを、いつまでも考え続けない。
誰かの感情まで、自分の責任にしない。
「正しい優しさ」って誰が決めるんだろう、と考えたこともあります。
「正しい優しさ」って、誰が決めるんだろう
起きたことを受け止めて、その中でできることをする。
そして、終わったら手放す。
私は、凪のように生きたい
昔の私は、もっと感情の波が大きかったと思う。
嬉しいときは凄く嬉しい。
悲しいときは、とことん悲しい。
怒ったら、その怒りを何度も考える。
人との関係でも、相手に対する熱量が大きくなりすぎて、自分まで疲れてしまうことがあった。
以前、人への熱量を下げることについて書いたことがあります。
人に対する熱量を下げると、生きやすくなる
だから最近は、少しずつ力を抜いている。
何もかもを真剣に受け止めなくてもいい。
全部のことに答えを出さなくてもいい。
玉子が割れたくらいなら、
「まぁ、割れたか(笑)」
でいい。
そして、使えるものを使って、残ったものでやり繰りすればいい。
人生も、たぶん似たようなものなんじゃないかなと思う。
予定通りにいかないこともある。
大切にしていたものが壊れることもある。
思っていたようにならないこともある。
それでも、そのたびに大きく波立つのではなく、
「さて、ここからどうしようか」
と静かに考えられる人でいたい。
荒れた海ではなく、凪いだ海みたいに。
何が起きても、完全に無傷ではいられなくても、
必要以上に自分を揺らさない。
そんなふうに、これからは生きていきたい。
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