「〇〇がいると安心する」
そう言われることがある。
一見すると、すごく嬉しい言葉だと思う。
信頼されている。
頼りにされている。
必要とされている。
そういう意味に聞こえるから。
私自身も、仕事でも恋愛でも、夫婦でも友人でも、
「あなたがいてくれると安心する」
という言葉や、それに近い行動をされることがある。
でも、最近ふと思った。
これって、本当に褒め言葉なんかな。
「安心する」の先に、何を求められているのか
仕事なら、
「この話し合い、ちょっと嫌な話になるから一緒にいてほしい」
と言われる。
友人なら、
何か嫌なことがあったときに連絡が来て、
「話を聞いてほしい」
「どうしたらいいと思う?」
「一緒に考えてほしい」
と頼られる。
恋愛でも、
相手が困ったときや、感情がぐちゃぐちゃになったときに、
「あなたなら分かってくれる」
「あなたがいると安心する」
と言われる。
もちろん、その瞬間は嫌じゃない。
むしろ、頼ってもらえることは嬉しい。
だから私も、その場では必死になる。
話を聞く。
考える。
解決策を探す。
相手の気持ちを整理する。
必要なら動く。
「この人が少しでも楽になればいい」
と思って接する。
でも、あとから振り返ると、
「なんか、私って利用されたんじゃない?」
と思うことがある。
「安心できる人」と「何でもしてくれる人」は違う
たぶん、ここが私の中で一番引っかかっているところなんだと思う。
「一緒にいると安心する」
というのは、本来なら、
その人の存在そのものに安心する
ということなんじゃないかなと思う。
でも、
「嫌なことがあったら助けてくれる」
「困ったら解決してくれる」
「感情を受け止めてくれる」
「自分の代わりに考えてくれる」
「間違っても許してくれる」
というところまで含まれてくると、少し話が変わってくる。
それは、
「あなたがいると安心する」
というより、
「あなたがいると、自分が困らなくて済む」
になってしまうことがある。
もちろん、本人にそんなつもりがあるとは限らない。
無意識のこともあると思う。
だから余計に難しい。
私が違和感を覚えるのは、「関係性以上」を求められたとき
仕事の相手なら、仕事として必要な範囲を超えて相談される。
友人なら、友人として支え合う以上のことを求められる。
恋人なら、恋人だからという理由で相手の問題まで背負うことになる。
夫婦なら、相手の人生そのものを支えることを当然のように求められる。
もちろん、関係性によって助け合うことは普通にある。
恋人なら恋人らしく支えることもあるし、友人なら友人だからこそ助けることもある。
仕事だって、ただ作業だけをするのではなく、人として支え合う場面はある。
でも私が違和感を持つのは、
「その関係だからここまで」
という境界線を越えて、
「あなたならやってくれるよね」
になった瞬間なんだと思う。
そのときは、嬉しいからやってしまう
ここが私自身の問題でもある。
私は、人から頼られることが嫌いじゃない。
むしろ、
「この人には私が必要なんだ」
と思うと、頑張ってしまう。
困っているなら助けたい。
分からないなら一緒に考えたい。
できることがあるならやりたい。
だから、頼られた瞬間にはあまり違和感がない。
むしろ、
「任せて」
くらいの気持ちになる。
そして、その場ではちゃんとやる。
でも、時間が経ってから、
「ん?」
と思う。
「あれ、私ばっかりじゃない?」
と。
「頼られる」と「大切にされる」は、同じじゃない
「嫌われたくない」という気持ちで動いた選択は、本当に自分のものなのか——そんなことも考えたことがある。
「嫌われたくない」で選んだことは、本当に自分の選択なのか
たぶん、ここを私は混同していたんだと思う。
頼られることと、大切にされることは別。
必要とされることと、愛されることも別。
信頼されることと、都合よく使われることだって、場合によっては紙一重になる。
もちろん、本当に信頼されている場合もある。
相手も私を大切にしていて、私が困ったときにはちゃんと返してくれる。
そういう関係なら、「安心する」と言われることは、すごく嬉しい言葉だと思う。
でも、
自分が困ったときだけ連絡してくる。
自分の問題は私に解決してもらう。
私の悩みには興味がない。
私が助けることは当然になっていく。
それなのに、私が離れようとすると、
「あなたがいないと困る」
「あなたがいると安心する」
と言われる。
それなら私は、
「それって、私が好きなんじゃなくて、私がしてくれることが好きなんじゃない?」
と思ってしまう。
「安心する」の正体を考えてみる
誰かに、
「あなたがいると安心する」
と言われたとき。
私はこれから、
「どうして?」
と考えてみようと思う。
私の存在そのものに安心しているのか。
話を聞いてくれるからなのか。
問題を解決してくれるからなのか。
自分の味方をしてくれるからなのか。
何をしても受け止めてくれるからなのか。
それとも、
「この人なら自分を否定しない」
と思われているのか。
同じ「安心する」という言葉でも、中身は全然違う。
本当の意味で「安心できる関係」って何だろう
私は、
「困ったときに頼れる関係」
だけが安心できる関係ではないと思う。
何もしていなくても一緒にいられる。
無理に役に立たなくてもいい。
相手の問題を全部解決しなくてもいい。
自分が弱ったときには、今度は自分も頼れる。
助けてもらったら、今度は自分も助ける。
どちらか一方だけが支えるのではなく、時期によって立場が入れ替わる。
そういう関係のほうが、私は安心する。
「この人がいると安心する」
という言葉が、
「この人なら自分の人生を背負ってくれる」
という意味になってしまったら、それはもう安心ではなく、依存に近づいてしまう気がする。
私も、「頼られる人」でいようとしすぎた
考えてみれば、私はずっと、
「自分がしっかりしていればいい」
と思っていたところがある。
困っている人がいたら助ける。
分からないことがあれば考える。
問題が起きたら解決する。
相手が弱っていたら支える。
そうやっているうちに、
「この人がいれば大丈夫」
と言われることが、いつの間にか自分の価値みたいになっていたのかもしれない。
でも、それって結構危ない。
自分が役に立てなくなったとき、
「じゃあ、私には何が残るんだろう」
となってしまうから。
「安心する」と言われたら、嬉しいままでいい
だからといって、
「安心する」と言われたら疑わなきゃいけない、
という話ではない。
信頼してくれているからこそ、頼ってくれることもある。
私自身だって、誰かに頼ることはある。
大切なのは、その言葉の後ろにある関係を見ることなんだと思う。
私が相手を支えたあと、
相手も私を支えてくれるのか。
私が困ったときにも、その人はいてくれるのか。
私が「今はできない」と言ったとき、それを尊重してくれるのか。
私が役に立たない状態でも、その人は私を必要としてくれるのか。
そこを見る。
「あなたがいると安心する」
という言葉そのものより、
その言葉を言う人が、普段どう私と接しているのか。
たぶん、そっちのほうが大事なんだと思う。
「安心させられる人」だけにならなくていい
人から頼られることは、悪いことじゃない。
誰かの安心になれることも、きっと素敵なことだと思う。
でも、
誰かを安心させるために、自分が疲れ切ってしまうなら。
誰かの問題を解決するために、自分の問題を後回しにするなら。
「あなたがいないと困る」という言葉が、自分を縛るものになっているなら。
一度立ち止まって、
「私はこの人に必要とされているのか。
それとも、私の“してあげられること”が必要とされているのか」
を考えてみてもいいのかもしれない。
「〇〇がいると安心する」
それは、たしかに嬉しい言葉だと思う。
でも私は今、
その言葉をただの褒め言葉として受け取るのではなく、
「その安心って、何から生まれているんだろう」
と考えるようになった。
そしてできれば、
「この人がいると安心する」
と言い合える関係でいたい。
一方だけが安心を与えるのではなく、
お互いが安心できる関係。
それが、私が思う「安心できる関係」なんだと思う。
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