便利なものが増えると、人は楽になる。
当たり前のことだけど、最近ふと、
便利すぎると、人の行動そのものが簡略的になるんじゃないか
と思うことがある。
以前、お客様と恋バナをしていたときのこと。
その方が、まだスマホどころか携帯電話もメールもなかった時代の恋愛の話をしてくれた。
文通をしていた話。
駅の掲示板にメッセージを書いていた話。
相手の家の固定電話に電話をかけていた話。
そして、
「電話をするために10円玉をたくさん用意して、握りしめて公衆電話に駆け込んだ」
という話。
私はその話を聞いていて、
「昔って、すごいな」
と思った。
今なら、スマホを開けば一瞬で連絡できる。
LINEを送ればいい。
電話だって、ボタン一つ。
相手の連絡先さえ知っていれば、いつでも簡単に連絡できる。
でも昔は、連絡するだけでも今よりずっと手間がかかった。
不便だからこそ、かける労力が違った
文通なら、手紙を書く。
切手を貼る。
ポストに入れる。
そして、返事を待つ。
公衆電話なら、小銭を用意する。
電話の前まで行く。
相手が家にいるかも分からない。
固定電話なら、本人ではなく家族が出る可能性だってある。
今では考えられないくらい、相手に連絡するまでにいくつもの工程がある。
でも、その「面倒くささ」の中には、
相手のために時間や労力を使う
という行動も含まれていたんじゃないかなと思う。
もちろん、昔の恋愛のほうが純粋だったなんて言うつもりはない。
昔だって浮気も不倫もあった。
人間の欲や裏切りが、昔だけ存在しなかったわけではない。
ただ、現代は便利になったことで、
誘惑に触れる機会そのものが増えている
とは思う。
昔なら、わざわざ連絡を取らなければ始まらなかった関係が、
今ならSNSを開けば、知らない人とも簡単につながれる。
連絡先を交換するのも簡単。
会話を始めるのも簡単。
関係を切るのも簡単。
そして、また別の誰かとつながることも簡単。
もちろん、それで誘惑に負けるかどうかは本人の理性の問題。
便利だから浮気をするわけでもない。
最終的には、その人自身の選択だと思う。
でも、
誘惑にたどり着くまでのハードルが、昔よりずっと低くなっている
というのは、便利さの一つの側面なんじゃないかなと思う。
LINEひとつでも、簡略化されている
これは、前回の記事で書いた「会話のキャッチボール」にもつながる。
会話のキャッチボールについては、こちらの記事で詳しく書いています。
会話のキャッチボールができない人
LINEって、本当に便利だ。
文章を送れば、相手にすぐ届く。
電話をしなくてもいい。
会わなくてもいい。
自分のタイミングで返せる。
忙しければ、あとで返せる。
それ自体は、すごく便利なことだと思う。
でも、その便利さが当たり前になったことで、
「返事がない」
ということに対する判断も、ものすごく早くなった気がする。
未読。
既読。
既読無視。
未読無視。
たった一つの表示で、
「無視された」
「返す気がない」
「怒っている」
「嫌われた」
と、いろんなことを判断してしまう。
本当は、
「今、手が離せないだけかもしれない」
「あとでゆっくり返そうと思っているだけかもしれない」
という可能性もある。
でも、
簡単に連絡できるツールだからこそ、簡単に返せるはずだ
という認識も生まれてしまう。
そして、そこに少し自由がなくなっているような気がする。
「いつでも連絡できる」は「いつでも返せる」ではない
私は、
「連絡が簡単になったこと」と
「いつでも相手に対応できること」
は、別だと思っている。
LINEはいつでも送れる。
でも、人間はいつでも返せるわけじゃない。
仕事をしているかもしれない。
誰かと話しているかもしれない。
疲れているかもしれない。
少し考えてから返したいのかもしれない。
それなのに、
「既読なのに返ってこない」
「未読のままだから無視されている」
と、すぐに判断してしまう。
便利なツールを使っているはずなのに、
その便利さによって、逆に相手を待つことが難しくなっている。
そんな矛盾を感じることがある。
不便には、不便なりの意味があったのかもしれない
昔の恋愛の話を聞いて、
「今のほうが絶対に便利」
というのは間違いないと思う。
いつでも連絡できる。
遠くにいてもつながれる。
会わなくても顔を見て話せる。
昔より人との距離を縮めやすくなった。
便利になったことで、救われた人もたくさんいると思う。
だから、便利さを否定したいわけではない。
ただ、
不便だったからこそ、人が相手のために使っていた時間や労力もあったんじゃないか
と思う。
連絡を取るために手間をかける。
返事を待つ。
相手の都合を考える。
相手の立場になって考えることについて、別の記事でも書いています。
相手の立場になって考えるということ
会える日まで待つ。
そういう「待つ時間」も、昔の人間関係には含まれていた。
今は、待つ必要がなくなった。
すぐ連絡できる。
すぐ会える。
すぐ調べられる。
すぐ買える。
すぐ答えが出る。
便利になった分、
「待つ」という行動そのものが少なくなった。
便利さに、人間が追いついていないのかもしれない
私は、便利なものが悪いとは思わない。
むしろ、便利なものはどんどん使えばいいと思っている。
ただ、
便利になったからといって、人間まで便利に動けるわけではない。
人には感情がある。
考える時間も必要だし、
迷うこともある。
疲れることもある。
誰かと向き合うには、時間が必要なこともある。
だから、
便利なツールを使いながらも、
「人間はそんなに簡単じゃない」
ということは忘れないほうがいいのかもしれない。
LINEで一瞬で連絡できても、
一瞬で人の気持ちを理解できるわけではない。
SNSですぐ人とつながれても、
すぐに信頼関係ができるわけではない。
お金があればすぐ買えても、
それで心まで満たされるわけではない。
便利になったことで、私たちはたくさんの時間を手に入れた。
人への熱量と、自分のエネルギーの使い方についても書いています。
人に対する熱量を下げると、生きやすくなる
でもその一方で、
時間をかけることの意味を、少し忘れているのかもしれない。
便利さは、生活を楽にするためのもの。
それがいつの間にか、
「相手も自分の都合に合わせて、すぐ動いてくれるもの」
になってしまったら、
便利なのは道具だけで、
人間関係はむしろ窮屈になってしまう。
便利な時代だからこそ、
少しくらい不便でも、
相手を待つこと。
相手の時間を尊重すること。
手間をかけること。
そういうものも、大切にしたいと思う。
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