前回の記事で、私は「社会は人の本質よりも、印象で人を判断する」という話を書いた。
その記事はこちら→「口が上手い人間が、この世を制す。──「印象」で人を判断する社会に思うこと」
口が上手い人間が、この世を制す。──「印象」で人を判断する社会に思うこと
今回は少し違う角度から、私が苦手な人について書いてみようと思う。
私は、人の時間を無駄にする人が嫌いだ。
お金に無頓着な人もいる。
人に裏切られることだってある。
もちろん、それらが平気なわけではない。
でも、お金については、減ることもあれば増えることもある。
裏切られることについても、最終的には「その人を信じた自分」にも多少の責任があると思っている。
だけど、時間だけは違う。
時間は、誰にとっても平等だ
時間は、誰にでも同じように与えられている。
増やすこともできない。
買い戻すこともできない。
過ぎてしまった時間を、どれだけお金を払っても取り戻すことはできない。
だから私は、自分の時間をどう使うかは、自分自身が決めるべきだと思っている。
仕事に必要以上に縛られること。
意味のないサービス残業をすること。
好きでもない人と、付き合いだからという理由だけで時間を過ごすこと。
もちろん、それぞれに事情はある。
それでも私は、自分の人生の時間を、自分が納得できない形で誰かに使わせられることが嫌いだ。
そして最近、まさにそれを強く感じる出来事があった。
3回の面接と実技試験。約2週間を費やした就職活動
私は現在フリーランスとしても活動しているが、いろいろな事情があり、安定した収入源を一つ持っておきたいと思い、最近アルバイトを探している。
その中で、先日ある会社の選考を受けた。
まず書類選考があり、その後1次面接。
その翌日に2次面接。
さらに2日後には3次面接。
ここまでは順調だった。
3次面接には社長も同席していて、感触も悪くなかった。
その後、実技試験を行い、その結果を踏まえて給与などの細かい条件を決める時間が設けられるという説明を受けていた。
そして数日後、実技試験についての説明を受ける面談があった。
そこで私は、自分が働ける時間が少ないことによって、合否の判断がかなり際どい位置にあるということを知らされた。
それでも私は、実技試験に進むことにした。
それなら、やるしかない
実技試験の内容について詳しく書くことはできないが、簡単なものではなかった。
1日目、2日目……と進み、最終的には7日目まである。
途中には実践的な面談があり、指定された提出物も複数ある。
つまり、7日間、毎日のようにかなりの時間を使うことになる試験だった。
私は土日も返上して勉強した。
もちろん、大変ではあった。
でも、私はそこまで嫌ではなかった。
もし受かれば、そのまま仕事で使う知識になる。
仮に落ちたとしても、勉強したことは今後に活かせる。
自分自身のスキルアップにもなる。
そう考えれば、この時間を使うことには納得できた。
「受かるために必要なことなら、やるしかない」
そう思って、一生懸命取り組んだ。
でも、最終日を目前にして疑問が出てきた
そして、最終日を目前にして、ふと考えた。
「これでもし受からなかったら?」
勉強したこと自体は無駄にはならない。
それは今でもそう思っている。
だから、実技試験に時間を使ったこと自体を後悔しているわけではない。
私が気になったのは、会社側の時間の使わせ方だった。
今回の実技内容は、特別な資格や経験がなければできないようなものではなかった。
今後仕事をしていく中で覚えていけるような内容だった。
もし本当に即戦力として、そのレベルの能力が必要なのであれば、そもそも書類選考の段階で判断することもできたはずだ。
しかも、私が応募した求人は、実務経験がなくても応募可能という内容だった。
つまり、最初から「現時点ですべての仕事ができる人」を募集していたわけではない。
それなのに、選考の最後で、かなりの時間を使う実技試験が待っていた。
私が引っかかったのは「落ちる可能性があること」ではない
ここは誤解してほしくない。
私は、落とされたことに腹を立てているわけではない。
採用される人がいれば、採用されない人もいる。
それは当然だと思っている。
私だって、自分に合わない会社なら辞退する。
今回だって、最終的には「もし受かっていたら本当にここで働きたかったのか?」と考えると、少し迷いがあった。
そして私は、迷いが出た瞬間に、その会社を一気に信用できなくなってしまうタイプでもある。
結果的に、実技試験は自分の中でも納得できる結果にはならなかった。
悔しかった。
でも同時に、少しほっとした。
「ここに受からなくてよかったのかもしれない」
そんな気持ちもあった。
それでも、腹が立った。
何に腹が立ったのかというと、約2週間という時間を、この選考のために使ったことだった。
応募者の時間も、その人の「資産」だと思う
会社側からすれば、一人採用するということは大きなことなのだと思う。
長く働いてもらうことになるかもしれない。
給与も支払わなければならない。
だから慎重に選考するのは当然だと思う。
でも、それは応募者側も同じではないだろうか。
応募者も、自分の時間と能力を、その会社に提供しようとしている。
会社が「人材」という資産を選んでいるのと同じように、応募者もまた「自分の時間と能力をどの会社に使うのか」を選んでいる。
私は、そこは対等であるべきだと思っている。
むしろ、時間や能力というものは、本来お金だけでは買えない。
だからこそ、それを提供するということには大きな価値があると思う。
それなのに、こちらが何日も何時間もかけて選考を受けた最後に、
「今回はご縁がありませんでした」
という一通のメールだけで終わってしまう。
もちろん、不採用の連絡をすること自体は当然だ。
でも、その裏側には、その人が費やした時間がある。
その時間まで含めて考えたとき、
「本当にそこまで応募者の時間を使わせる必要があったのだろうか」
と思ってしまう。
求人票に書いてあることと、実際に求められること
もう一つ、就職活動をしていて気になることがある。
求人票には、
「未経験可」
「実務経験不問」
「最低限のスキルがあればOK」
などと書かれているのに、実際に選考を受けてみると、それだけでは足りないように感じることがある。
もちろん、求人票だけですべての仕事内容や必要な能力を書き切ることが難しいのは分かる。
企業側にも事情がある。
でも、もし実際には特定の能力や経験がかなり重視されるのであれば、できるだけ最初の段階で分かるようにしてほしいと思う。
そうすれば、応募者も
「自分にはまだ難しいな」
「ここなら条件が合いそうだ」
と判断できる。
会社側も、条件に合わない人を選考する時間を減らせる。
お互いに時間を無駄にしなくて済む。
それなのに、応募して、面接をして、試験をして、何日も待って、最後に「求めていた人材とは違いました」となる。
それでは、応募者はかなりの時間を失ってしまう。
「選ばれる側」だからといって、何をされてもいいわけではない
就職活動をしていると、どうしても応募者は「選ばれる側」になる。
グル子は「嫌われたくない」という気持ちが選択にどう影響するかについて書いています→「「嫌われたくない」で選んだことは、本当に自分の選択なのか」
「嫌われたくない」で選んだことは、本当に自分の選択なのか
だから、
「会社に選んでもらわなければいけない」
という気持ちになりやすい。
特に、なかなか仕事が決まらないと、
「どんな会社でもいいから受からなければ」
という気持ちになってしまうこともある。
そうなると、多少時間がかかっても、多少条件が違っても、その会社にしがみついてしまう。
でも、本来は会社だけが応募者を選ぶものではないと思う。
応募者も、その会社を選んでいる。
自分の時間をどこに使うのか。
自分の能力をどこに提供するのか。
自分の人生の一部を、どの会社に預けるのか。
それを決めるのも応募者自身だ。
だから私は、「採用してもらう側だから、会社の時間の使い方に文句を言ってはいけない」という考え方には違和感がある。
結局、ここでも「人をどう見るか」という問題につながる
そして、前回の記事にもつながってくる。
選考に時間がかかること自体が、必ずしも悪いわけではない。
その時間をかけることで、本当にその人のことを知ろうとしている会社もあるだろう。
ただ、何度も面接をして、実技試験までして、それでも最後に判断されるのが、結局「面接での印象」だったとしたら。
それは少し悲しい。
何日もかけて試験を受けたとしても、最終的に
「話し方が良かった」
「感じが良かった」
「うちに合いそうだった」
というような、最初の印象に近い部分で判断されてしまうのなら、そこまで時間をかける意味は何だったのだろうと思ってしまう。
人の本質を見るために時間を使うのであれば、私はいくらでも使っていいと思う。
グル子は相手の立場に立って考えることの難しさについて書いています→「相手の立場になって考えるということ」
相手の立場になって考えるということ
でも、ただ判断するためだけに人の時間を使うのであれば、その時間の重さも考えてほしい。
私は、人の時間を大切にする人と付き合いたい
私は別に、すべてを効率化してほしいと言っているわけではない。
時間をかけなければ分からないこともある。
遠回りすることにも意味がある。
私自身、今回の実技試験で勉強したことは、今後きっと役に立つと思っている。
だから、使った時間がすべて無駄だったとは思っていない。
ただ、それでも思う。
人の時間を使うなら、その時間に責任を持ってほしい。
これは会社に限った話ではない。
友人でも、恋人でも、仕事相手でも同じだ。
約束の時間を何度も守らない人。
いつまでも結論を出さない人。
相手が待っていることを分かっていて放置する人。
自分の都合だけで、人の時間を当たり前のように使う人。
私は、そういう人とはできるだけ付き合いたくない。
お金なら、また稼げる。
失った信用も、時間をかければ取り戻せるかもしれない。
でも、今日という一日は二度と戻ってこない。
だから私は、人の時間を軽く扱う人よりも、
「あなたの時間を使わせてもらっている」
という感覚を持てる人と仕事がしたい。
そして、自分自身もそういう人間でありたいと思っている。
結局、人にとって一番平等で、一番取り戻せない資産は、時間なのだから。
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