離婚をして、数年が経ってから、本当の自分の気持ちと向き合う機会が増えたように思う。
それは、年齢もあると思う。
幼少期からの自分との向き合い。
逃げてきた自分との向き合い。
この数年で、私は色々な自分と向き合ってきた。
そして今回は、自分の異母兄弟について考えてみた。
「甘えたい」と言えなかった子供時代
両親の離婚後、父が再婚して、新しいお母さんができた。
当時の私は、素直に母親の愛を求めていたし、年上の女性に甘えたり、わがままを言う傾向があった。
きっと、無償の愛というか、
「何をしても、この人は離れていかない」
という保証が欲しかったのだと思う。
あえて、
「自分でできるから着いてこないで!」
と突き放しておきながら、継母が心配だからと、後ろからこっそり着いてきてくれているのが嬉しかった記憶もある。
口では、
「もう来ないで!」
と言いながら、心の中では嬉しかった。
今振り返ると、子供ながらに愛情を確かめていたのだと思う。
「必要とされること」で愛情を測っていた
これは、現在の恋愛にもよく出る傾向だと思う。
喧嘩した時に追いかけてくる。
何度も電話がかかってくる。
相手が自分を必要としてくれる。
そういうところでしか、愛情を測れない。
「追いかけてくれる=愛されている」
「必要としてくれる=大切にされている」
そんなふうに、いつの間にか考える癖がついていたのかもしれない。
今になって考えると、幼少期に欲しかったものを、大人になっても別の形で求めていたのだと思う。
私自身、「必要とされること」でしか自分の価値を測れなかった時期がありました。その考え方について、こちらの記事でも書いています。 必要とされることでしか、自分の価値を測れなかった
妹が生まれることは、本当に嬉しかった
そんな継母が妊娠したのは、結構早かった。
父の再婚自体もスピード婚だった。
けど、当時の私は、自分の弟か妹が生まれることが純粋に楽しみだった。
妹が生まれてきた時も、本当に嬉しかった。
だから、妹が嫌だったわけではない。
むしろ、妹には何の罪もない。
ただ、私の家庭環境は、普通の家庭とは少し違っていた。
家族の中で「担当」が分けられていた
基本的に、兄と私のことは実の父である父が怒る。
継母は妹担当。
そんなふうに、自然と分けられていた。
ただ、実際には怒られないだけで、継母が父に告げ口をしているような感覚があった。
それを父が継母を守るために、私や兄を叱る。
継母から直接、何かを言われたりするわけではない。
でも、態度や行動から「怒っている」ということは伝わってくる。
無視をされることもあった。
子供にとっては、それだけでも十分怖かった。
家族なのに「敵と味方」に分かれていった
その経験から、私は大きな物音や、勢いよくドアを閉める人が苦手になった。
今でも、大きな音がすると身体が反応することがある。
その家庭環境の中で、いつしか家族が「家族」ではなく、
敵と味方。
そんな感覚に分けられていった。
そして、その環境の中にいた妹にも、私は変に気を使っていた。
妹は継母側。
だから、自分の味方ではない。
そんなふうに思っていた。
子供の頃に過ごした家庭環境は、大人になってからの考え方や人との関わり方にも影響しているように感じます。家庭環境について考えたことはこちらの記事で書いています。 家庭環境は繰り返されるのか
妹が嫌いだったわけではない
妹が嫌いだったわけではない。
嫌だったわけでもない。
ただ、段々と家族として心を開ける対象ではなくなっていった。
妹と私の間にある、ほんの少しの差に、ヤキモチというより寂しさを感じたことはたくさんある。
でも、それ以上に悲しかったのは、
「家族なのに、敵か味方かという感覚になってしまったこと」
だった。
頼ったり、甘えたりできないこと。
そして今でも、自分の親という感覚を持てないこと。
それが、今でも悲しく思う。
一度できた溝は、なかなか消えない
一度できた溝や考え方は、なかなか消えない。
今現在も、父家族との間には大きな溝が残っている。
そして、私は同じ悩みをずっと持っている。
確かに、時間は経った。
私自身も大人になった。
でも、時間が経ったからといって、子供の頃に感じたことが全部消えるわけではない。
むしろ、大人になったからこそ、
「あの時、自分はこう感じていたんだ」
と分かることもある。
私が本当に求めていたもの
今になって思う。
私が求めていたのは、そんなに難しいことではなかった。
勝手に離婚をして、新しい家族を作ったのなら。
2人の間に子供ができた時に、連れ子が寂しくならないような行動を取ってほしかった。
私が寂しいと感じた部分を、
「お前がそういう性格だから」
と私のせいにするのではなく、
「自分たちにもできなかったことがあった」
と認めて、話をしてほしかった。
それだけだったのかもしれない。
「親も間違える」と認めてほしかった
結局、父や継母は、妹に普通の家庭を与えてあげられなかったことを、
「そうなるかもしれない」
と覚悟を決めていなかった自分たちの問題ではなく、環境のせい、他人のせいを前提に話すことが多かった。
それが、私は余計に苦しかった。
完璧な親でいてほしかったわけではない。
失敗しないでほしかったわけでもない。
ただ、
「自分たちにも悪かったところがあった」
と認めてほしかった。
親が間違えること自体は、仕方がないと思う。
でも、間違いを認めることまで拒否されると、子供側はずっとその傷を抱えたままになってしまう。
強がっていた自分から、素直な自分へ
昔の私は、そんなことを素直に言えなかった。
寂しかったとも言えなかった。
甘えたかったとも言えなかった。
本当は傷ついていたのに、
「別に平気」
と強がっていた。
自分を守るためには、そうするしかなかったのだと思う。
昔は、弱さを見せないことが強さだと思っていました。でも今は、自分の弱さや本当の気持ちを認めることも強さなのかもしれないと思っています。 本当の強さって、なんだろう
だから、今こうして文章にしてみて初めて、
「あの時の私は、本当はこう思っていたんだ」
と気づくことがある。
過去を許すことと、なかったことにすることは違う
過去と向き合うというと、
「親を許さなければいけない」
とか、
「過去を乗り越えなければいけない」
と思ってしまう人もいると思う。
でも、私はそうじゃないと思っている。
許せない部分があってもいい。
距離を置いてもいい。
傷ついたことを、傷ついたまま認めてもいい。
大切なのは、
「自分は本当はどう感じていたのか」
を、自分自身が分かってあげることなのだと思う。
これまで私は、自分の気持ちよりも「こうあるべき」「こうしなければ」という考えを優先してきたことがあります。自分の人生を生きることについて考えた記事はこちらです。 他人の人生を生きるのをやめた日
本当の自分と向き合うということ
私はこれまで、自分の過去を振り返ることを避けてきた部分がある。
思い出したくないこともあった。
自分が弱かったと認めたくないこともあった。
でも、大人になってから一つずつ振り返ってみると、昔の自分を責める必要なんてなかったと思えるようになった。
あの時の自分には、あの時なりの理由があった。
甘えたかった。
愛されたかった。
必要とされたかった。
家族に自分の居場所があると思いたかった。
それは、子供として当たり前の感情だったのかもしれない。
今の私は、昔の自分に、
「本当は寂しかったんだね」
と声をかけてあげられる。
それだけでも、少し自分に優しくなれた気がする。
誰かに話すことで、すぐに答えが出るわけではないかもしれません。でも、自分の気持ちを整理するために、第三者の力を借りるという選択肢があってもいいと思います。
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詳細を見る過去を変えることはできない。
父や継母の考えを変えることもできない。
でも、自分の過去の捉え方は、これから少しずつ変えていける。
強がっていた自分も、甘えたかった自分も、傷ついていた自分も、全部自分。
その全部を否定せずに、
「私は、本当はこう思っていたんだ」
と認めてあげる。
それが、私にとっての「本当の自分と向き合う」ということなのかもしれない。
親も完璧ではなく、間違えることもあります。だからこそ私は、自分が親になった今、「完璧な親」ではなく、子供とどう向き合うかを考えるようになりました。 "立派な親"をやめた日
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